この間の散歩の疲労が溜まって来た | がいちのぶろぐ

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雨降りの一日になっている。この一週間余りは、立て続けに散歩に出掛けて足腰に徐々に疲労が溜まっていたから、ある意味で「骨休めの雨」といった感じだろうか。

 

この間、散歩に出掛けた先が、山科区や左京区岩倉地区などの、山裾にある寺社巡りというケースが続いていたので、毎回、坂道や石段などの上り下りが多くなっていた。

 

 

(一言寺/伏見区醍醐)

 

人間歳をとれば、坂道や石段などを平地のように歩いたら、まず息切れすることを計算に入れておかないといけない。まして昨今は、マスク姿で歩いているから余計に呼吸が乱れてしまう。

 

散歩をしていて特に強く感じるのが、私自身かつては早足で歩く人間だったのが、今ではすっかり他人様に追い抜かれる存在になってしまったことだ。

 

そんな積もりはないのだけれど、歩いていると後ろから来た若い人にスイッと追い越される。とはいっても、そのスピードに着いて行こうという気持ちにはならない。とてもじゃないが。

 

我がことながら、何とも〝情ない〟というか〝悲しい〟というか。これが、3カ月後にはいよいよ後期高齢者になろうという人間の、悲しいけれど現実なのだ。

 

 

(妙満寺に至る道/左京区岩倉幡枝地区)

 

それでもこの1年半ほど、まずは昨春のコロナ禍から始まり、今年に入ってからはガン治療のためにやむを得ず、家の中に閉じこもることが多かったから、これから何とか出歩きたいと思う。

 

この間のブログでも書いていたように、私は京都生まれの京都育ちで、外に出たこともない人間だから、京都のことをもっと知っていてもよさそうなものだが、案外と知らないまま今日まできた。

 

 

(正伝禅寺の参道/北区西賀茂)

 

それだけにこの歳になって、自分でもあわてて遅れを取り戻そうとしているように思う。昨年は「京都・観光文化検定」の2級にチャレンジし、幸運にも何とかこれをクリアできた。

 

これで少しだけ自信ができたから、今年は無謀にも1級にチャレンジしようと思う。だけど、正直言って無茶な話だと、自分でもよくわかっている。とても歯が立つレベルではない。

 

2級は〝択一式〟だから、解答例の中の関係なさそうなものを消してから、残りの中からエイヤッと気合で〇を付ければ、〝まぐれ当たり〟という結果も起こり得る。

 

だが1級は、自分で解答を記入する。つまり、確実に〝知っていない〟と解答が書けない。さらに、キーワードを5個ほど与えられ、これを全部使って200字以内の文章を作り上げる設問もある。

 

ここまでくれば、キーワードの中の一つでも知らないものが有れば、文章が形を成さないことになる。こういう設問に答えた上で、なおかつ正答率が80%以上を要求されている。

 

 

(岩屋寺「大石内蔵助隠棲の地」の石段/山科区)

 

こんな厳しい条件の1級を受験して、これまでに17回実施された中で、延べ10回も合格したという〝剛の者〟も2名おられるということだ。まさに〝何ということでしょう〟と、感嘆に値する。

 

私はこれから死ぬまでに、何回受験の機会があるかはわからないけれど、せめて一度はこの難関を突破したい。京都に生まれ育った証しとして、合格をせめてもの〝死に土産〟にしたい。

 

さて明日は、関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体として、定住外国人の方への聴取調査を予定している。私は、その際の〝書記係〟を仰せつかっている。

 

今日の雨が晴れてくれたなら、明後日はまた、散歩と称して1級受験にも役立ちそうな寺社などを選び、市内を歩き回ってみたいと思う。ただ、しばらくは山裾の寺社ではなく町中にしよう。

 

それにしても、京都にはあまりにも分厚く歴史が積もり過ぎていると、つくづく痛感させられている。これまで、日本史の授業などまともに受けたという記憶もない人間だけに。