言葉のユニバーサルデザインを求めて | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
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豆台風くんが去って行った後は、いつもこんな風だったことを思い出している。昨日、1泊2日の行程を終えて、千葉都民の娘の家族が帰って行った。その後に来る空虚感というべきだろうか。

 

 

 

1年9カ月も間が空いてしまったので、きっちり忘れてしまっていた。耳の奥の方で〝ウヮーン〟という感じで声がこだまする状態は、年寄り所帯ではついぞ有り得ない。

 

それが豆台風くんの声の〝こだま〟によって、家の中に凄い活気が急に訪れる。それが、帰って行くことでパタッと途切れてしまう。その瞬間から始まる静寂の空虚感。

 

昨夜は、それほど疲労を感じているつもりはなかったけれど、10時半には早々と床に就いてしまった。いつも12時前後に床に就く私としては、滅多にない時間だった。

 

 

 

そのお蔭で、今朝は6時半には床を抜け出していた。そして午後は、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体の、定例ミーティングがオンラインで行われた。

 

私たちは現在「やさしい日本語」の入口となる「リーフレット」を、職業別に見合うような内容で作成しており、まずは第1弾として「保育・幼児教育職場編」が詰めの段階になっている。

 

それで、デザインを担当していただいている方から初校が送られてきて、今日のミーティングはその初校の細部の修正を行っていた。これにけっこう時間が掛かった。

 

それでも保育園や幼稚園で、先生方とその園に子どもを通わせている外国人の保護者が、「やさしい日本語」を使って、より良いコミュニケーションを取ることが出来たならうれしいと思う。

 

 

 

今日の議論の中で、ある人から出て来た「やさしい日本語って、言葉のユニバーサルデザインだから」という発言は、とても良い言葉だと思った。

 

そうなのだ。何も外国人と話すためだけではなく、高齢者や障害を抱えた人にとっても、「やさしい日本語」の考え方でコミュニケーションをすればお互いの意思が伝えやすい。

 

「ハッキリ、最後まで、短く、ゆっくりと」会話をすれば、最近は耳が遠くなりつつある私にも、実に助かる会話になってくる。

 

そうか。豆台風くんの発する言葉は、たとえ〝耳にウヮーン〟であっても、私にすれば聞き取りやすい表現になっていたのだ。

 

「ジイジ、ゲームしよっ!」と元気よく言ってくれれば、まったく苦労無しに聞き取れる。「今度はオレの番だからねっ!」と言われれば、「おぉ、そうか。ゴメンな」で会話が続く。

 

自分自身が〝老い〟を感じるならば、自分が〝してほしいこと〟や、〝あったらいいな〟がユニバーサルデザインなのだと思う。

 

早く歩くと息切れがするから、階段は上りよりも下りの方が膝が痛いから、といったことの一つずつが、ユニバーサルデザインとつながっている。ならば、その言葉バージョンだと言える。

 

私自身がこうあってほしいと思うことを、今後はミーティングでも伝えて行こうと思った。

 

それよりも豆台風くんが、「お正月に、また来るからね」と言いながら帰って行った約束の方が、もっと大事かな。