豆台風くんが来襲し去って行った | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

弾丸ツアーだったけれど、土・日の1泊2日で千葉都民の娘の家族が帰省してくれた。5月の大型連休もお盆休みも、帰省が計画倒れになってしまった。

 

だから緊急事態宣言が終わったこのタイミングで、たとえ弾丸ツアーであっても、ご主人が日程をやり繰りして、久し振りの孫との対面のため帰省してくれた。当方は〝感謝、感謝〟である。

 

 

 

それにしても昨年のお正月休みの終わりに、「また来るね~」と手を振って帰ってから、1年9カ月も間隔が開くとは思っても見なかった。つまり、にっくきコロナ禍が1年半余り続いている。

 

昨年の「GoToトラベル」の時期も、帰省のタイミングが上手くハマらなかった。結果論になるが、むしろその時にこちらから出掛けた方が良かったかと。

 

ということで昨日は、韓国に単身赴任中の息子を除いて、大阪の息子の家族も来てくれたから、昼過ぎからは我が家が大混雑状態になった。

 

そもそも家人は、昨日の朝から夕食の〝ご馳走〟のため、買い込んでおいた牛肉の塊りを焼いてローストビーフを作ったり、カボチャのポタージュを作ったりと、孫たちの好物と取り組んでいた。

 

まずお昼前に大阪の家族が到着し、娘の家族は前日に泊まったご主人の実家の奈良県から午後早々に到着し、時間差で昼食を食べた後は孫たちが人生ゲームに突入。

 

 

 

何より驚いたのは、小学4年生になった豆台風くんが、場を取り仕切って進行役をできるようになっていた。お姉ちゃんの方は中学生になって、どこか落ち着いた感じが生まれていた。

 

大坂の孫娘は一人っ子ということもあり、また性格的におとなしい上に最年少なので、何となく豆台風くんに引き摺られるような具合になっている。この辺りは、今までと変わらない。

 

その後の夕食が大騒ぎだった。私は昨年末に〝がん〟を宣告されて以来、あれほど好きだったお酒がドクターストップになり、ピッタリと飲まなくなった。だから昨夜も、私はノンアルコール飲料。

 

 

 

一方で、孫たちの健啖ぶり。ローストビーフと鶏の骨付き唐揚げは、見る見るうちにそれぞれの胃袋に収まって行く。見ているこちらが、その食べっぷりにうれしくなってくる。

 

大阪の家族は、今朝早くから孫娘に予定が入っているということで、夜8時前に帰って行った。こちらの家族は、何と言っても住まいが近くだから会おうと思えば何とかなる。

 

その後は娘家族と老夫婦になり、少しのんびりとしたけれど、やはり豆台風くんの〝ゲームしようよ~〟コールが鳴り響き、UNOのカードを引っ張り出してきた。

 

今朝は昼までに出発するという予定だったが、早起きした豆台風くんはまたもや〝やる気満々〟で、みんなが食事を終える前から、UNOのカードを広げて強くアピールしていた。

 

出発ギリギリまでUNOを堪能した豆台風くんも、結局は何だかんだと時間が押したので、12時を回ったあたりで、ようやく「今度は、お正月に来るからね~」とハイタッチを交わして去って行った。

 

 

 

ほんとに、このコロナ禍は長過ぎると思う。昨年の正月に5年生だった千葉の孫娘は、今では中学生になりもう家人の背丈を追い越した。来年の夏には、私もきっと追い越されてしまうだろう。

 

豆台風くんは、「オレも、来年はジイジを追い越すかなあ」と〝のたまった〟が、さすがに〝それは無理だろう〟とお姉ちゃんに突っ込まれていた。でも、ようやく顔が見られてよかった。

 

私が〝がん〟宣告を受けてから初めての顔合わせになったけれど、私も今のところはすぐに〝どうこう〟という病状ではないようなので、来年もまた豆台風くんの声が聞けるだろう。