皇族のご結婚は私たちには無縁なようでも | がいちのぶろぐ

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昨日、衆議院が解散して、マスコミは一斉に〝総選挙報道〟モードに突入した。と思っていたら、今日はまたぞろ、小室圭さんと眞子内親王の記者会見が話題に。

 

私にはどうでも良い。そもそも保守派と思っている方々は、皇室を尊崇する心を大事にされるはずだけど、中国や韓国批判の発言はあっても、この件に関する発言が無い。

 

現在の皇室典範では、男系男性だけが皇位に着けると規定している。しかし、それがそもそも時代にそぐわないとか、だから皇位が不安定になるという意見もある。

 

そこで、男系女性であっても皇位に着けるように規定を変えればどうか、という意見が出て来る。イギリスのエリザベス2世女王が、このケースに当たる。

 

それについても、色々な考え方があってしかるべきだし、一時期は真剣にこの議論がなされてきた。もし秋篠宮家に悠仁さまがおられなかったなら、もっと議論が進んだだろう。

 

それ以上に、眞子さまのお相手とされる小室氏についてはとにかく何かと批判が繰り返されてきた。それは、この人と家族のあり方を見れば、当然とも言えるものだろう。

 

だからこそ、男系女性が皇位についてはいけない、という意見が保守派の方々からもっと出て来るかと思っていたが、この間、そうした意見は寡聞にして聞いたことが無い。

 

弓削の道鏡の一件を持ち出すまでもなく、男系女性の皇位への即位が秘める危うさを、もっと声高に述べられるのかと思っていたが、そういうことでもないように思える。

 

しかし今回のお二人の結婚の件を通して、日本国憲法に規定されている〝皇族〟とは、どういう存在なのかということが問われるようになったと思う。

 

天皇とは国家元首でありつつも、国民統合の象徴であるということなのか、それとも国家元首ではなく、ひたすら国民統合の象徴であるのか。その点どういう存在なのだろう。

 

憲法学者の方は、これまでもいろいろと解釈されてきたのだろうけれど、〝皇族〟とはどういう存在なのかを、ここで改めてきちんと再定義する必要があると思う。

 

そうしない限り、儀式を含めて今回の結婚が飛び抜けた特例扱いなのか、それとも皇室典範や憲法の結婚規定に則ったオーソドックスなものなのか、曖昧なままになってしまう。

 

それ次第では、これからの皇室という存在の正統性にもかかわってくる問題になるだろう。祝福された結婚であるかどうかではなく、天皇には離婚が認められるのかも含めて。

 

皇族には、すでに離婚された方もおられるかもしれないが、男系女性の皇族の方が、結婚によっていったん臣籍降下されれば、離婚によっても皇族に戻ることはないと思われる。

 

その場合、離婚によって旧姓に復することは不可能だが、これは民法の規定に抵触しないのだろうか。何よりも〝臣籍降下〟という事態は、一般人には起きることではない。

 

そうしたことのすべてを法解釈し終えた上で、今回のご結婚に至ったのだろうか。誰もが他人事でありつつも、我が国の〝あり方〟と関わるテーマだから、意見も言いたくなる。

 

今回の総選挙で、自民党の中でも保守派と見られる、例えば高市早苗氏などは、このご結婚にきちんと私見を表明すべきだと思う。それが、保守派としてのけじめだと思う。

 

今日ネット配信されて来るこの問題のニュースを見ていると、本当にバカバカしさが先に立ってしまって、頑固ジジイの一般国民としては嫌になってしまう。

 

それよりも私にとって大事なことは、ジャーン!!! 明日の午後、千葉都民の娘家族が我が家にやって来る。にっくきコロナのために、実に1年10か月ぶりの出来事になる。

 

明日・明後日は、こんなブログなど書いている場合ではない、という気持ちでいる。もし書けなかったら、それはこの事情によるとご理解いただきたい。