好天の週末で東福寺もそれなりに人出が | がいちのぶろぐ

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緊急事態宣言が解除になって初めての週末は、真っ青に抜けるような空になった。気温こそかなり高くなったけれど、通り抜ける風はやはり涼しさを運んできた。

 

 

 

今日の午前中、紅葉には1ヵ月半も早いけれど、東福寺へ散歩に出掛けていた。京都市内でも北の方になる我が家から、南の外れに近い東福寺までは市バスの乗り継ぎになる。

 

 

 

およそ40分掛かって「東福寺前」バス停に着いた。そこから歩くこと10分ほどでやっと東福寺に着く。境内には、塔頭もたくさんあって敷地がだだっ広い。

 

東福寺は、紅葉の季節には「通天橋」という、京都でも第一級の有名な紅葉見物スポットがあって、それこそ長蛇の〝大行列ができる〟お寺なのだが。

 

 

 

駒札には、宋から帰って来た「禅僧の円爾弁円(聖一国師)を開山」に招いて、鎌倉時代の1236年に関白の藤原道家が発願し、1256年に完成したと書かれている。

 

「東福寺」と言う名前も、このお寺を発願した藤原道家が、奈良の東大寺と興福寺に匹敵するお寺を目指して、「東」と「福」をくっ付けて命名したというから凄い。

 

 

 

ただ1221年には、後鳥羽上皇が鎌倉幕府と戦おうとしたけれど、幕府方に一気に蹴散らされた「承久の乱」があり、敗れた後鳥羽上皇はその後「隠岐」に流された。

 

それでこの乱の後は、「六波羅探題」という鎌倉幕府の出先機関が権力を持ち、ハッキリと武士の世になっていった。そんな時期に、東福寺は朝廷に近い藤原氏によって建てられた。

 

 

 

だから藤原氏も、やはり権力と財力を持っていたのだろう。ということで、この東福寺は禅寺の「京都五山」の一つに数えられたお寺である。

 

室町時代の初期にできた「三門」は国宝に指定されているし、面白いのは「東司(とうす)」という大きな便所など、かつて修行僧が使っていた建物も重要文化財となっている。

 

 

 

というお寺だが、今日の私のお目当ては「方丈」の周囲を取り巻いている庭。昭和の作庭家として有名な「重森三玲」が、昭和141939)年に作った「八相の庭」である。

 

 

 

方丈の南庭には枯山水の庭があり、西には方形にサツキを刈り込んで配した庭がある。

 

 

 

 

また、西庭から北庭へ掛かるところには、「通天台」と呼ばれる展望台が設けられていて、有名な紅葉見物スポットの「通天橋」とともに、紅葉見物スポットになる。

 

 

(通天台から通天橋を望む)

 

北庭は、苔と敷石で市松模様を形作った庭になっており、晩秋には背景の紅葉と一体化した庭が見られる。

 

 

 

また庫裡から方丈へ至る渡り廊下の東側の庭は、石柱を北斗七星のように配して、狭いながらもそこに小宇宙を感じさせている。

 

 

 

こうして、方丈を囲む四方向にそれぞれ趣の異なった庭を配している。その結果、この庭は作庭家・重森三玲の代表作とも言えるものになっている。

 

今日は緊急事態宣言が終わった好天の週末とあって、東福寺もそれなりには人出があったけれど、2年前までのように、時期を問わず大勢の観光客が来るということはなかった。

 

 

 

これから徐々に、観光地の人出も回復基調になって行くのだろう。とは言えまだコロナ禍が終ったわけでもない。だから私も、今日は方丈の庭を見ただけで、さっさと引き上げた。

 

 

明日の日曜日は、京都市国際交流会館で定住外国人のためのイベントが、本当に久しぶりに対面で行われる。私もお手伝いに行くことになっている。