改めてワークショップ型の効用を考えた | がいちのぶろぐ

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昨日のブログは〝ごった煮〟のようになり、わけのわからない文章になった。書きたいことがまとまっていないままに、あれもこれもと書いてしまったから。

 

ただ最後の方で「両利きの経営」というテーマを書こうとしていた。この間何度かブログでも紹介した、「早稲田大学の入山章栄氏が日本に紹介した考え方である」と書いた。

 

 

 

この「両利きの経営」という表現というかアイデアを借用して、「東京大学の安斎勇樹氏が、『チームを停滞させる諸問題はなぜ起こるのか』と題する考察」を行っておられた。

 

この安斎氏の考えを、もっと掘り下げて考えてみたいというのが、昨日のブログの真意だったが、書いたことのすべてが何だか中途半端になってしまった。

 

 

そこで今日はあらためて、この安斎勇樹氏の考えを紐解いてみたいと思う。

 

「チームを停滞させる諸問題はなぜ起こるのか」ということだが、何かのテーマについてチームで取り組むということは、きわめて一般的なことである。

 

というよりも、それが世の中で行われている仕事における普通のことであり、むしろ単独で何かの仕事をするということの方が稀な出来事と言っても良い。

 

安斎氏は「チームメンバーの魅力と才能が埋もれたまま、ポテンシャルが抑制されている状態は、どのようにして生まれてしまう」のかというテーマの考察をされていた。

 

こうした状態が生まれるのは、「上司のマネジメントに問題がある」のか、「それとも部下のやる気やコミュニケーションスキルが足りないせい」だろうかと問う。

 

入山氏の言われる「両利きの経営」とは、「知の探索=知を幅広く探索し、自分が持つ知と組み合わせる」という側面と、「知の深化=組み合わせた知を深掘りする」ことの両面を意味していた。

 

過去から行ってきた〝経験知〟を積み上げ、さらに精緻化し効率化することで、その〝経験知〟を深化させていこうという方向が、これまでも一つの大きな潮流として存在した。

 

しかし現在のように変化が激しい時代には、過去の〝経験知〟だけではどうしようもない場面も有り得る。だから、新たな方向性を見つけるために「知の探索」が必要だという。

 

入山氏の「知の探索」ということの定義から少し離れて、安斎氏流にこれを解釈すれば「試行錯誤を重ねる〝ワークショップ型〟」の発想につながるだろうというのだ。

 

近代産業としての「ファクトリー(工場)」であれば、「『設計図』に従って各人に作業を振り分け」て、「メンバーはミスなく、効率的に、作業を遂行することが求め」られる。

 

それに対して、「ワークショップとは、工房のこと」だという。工房では「あらかじめ定義された精緻な設計図は存在」しない。

 

むしろ「試作を繰り返しながら、その状況にフィットした『目的』そのものを自ら発見していかなくては、工房のものづくりは」進まない、と安斎氏は考える。

 

すなわち「安定した正解が存在しない時代においては、ワークショップ型のほうが柔軟で効果的なアプローチといえる」だろうと考えている。

 

この〝ワークショップ型〟という発想が、入山氏の言う「知の探索」に他ならない、というのが安斎氏の考えだ。

 

さらに「ワークショップ型の醍醐味は、仕事の過程におけるコミュニケーション」にこそ存在していると、安斎氏は述べる。

 

「仲間たちと絶えず対話を重ねて、お互いの『異なる視点』に刺激を受けながら、仕事を進めていく」のだという。これが〝停滞しないチーム〟のあり方ということだろう。

 

安斎氏も、入山氏の「両利きの経営」ということになぞらえて、次のように結論付けている。

 

「既存業務を改善する『知の深化』を担当する部署はファクトリー型の比重を強く残して、新規事業を開拓する『知の探索』を担当する部署はワークショップ型に切り替えるなど、組織におけるバランスも重要になる。」

 

私は何を言いたくて、ここまで長々と講釈を垂れて来たのか。つまり、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体の今年度の活動のことなのだ。

 

コロナ禍によって、リアルに人が集まって「やさしい日本語」を用いた、定住外国人とコミュニケーションを取るトレーニングのワークショップが開催できていない。

 

 

 

しかし入山氏の思考方法を借りて、安斎氏が述べておられるように、「新規事業を開拓する『知の探索』を担当する部署はワークショップ型」が必要になる、ということは言える。

 

仕事において外国人とコミュニケーションすることが必要になるという場合、そのこと自体が、これまでとは仕事のやり方が変わってくる、という考え方もできる。

 

つまりそれは、仕事における「新規」の状況に他ならないとも考えられる。入山氏の定義に従えば、「知の探索=知を幅広く探索し、自分が持つ知と組み合わせる」作業だ。

 

わかり易く言えば、「外国人とコミュニケーションをとる」という作業は、これまでの仕事にはなかったことであるなら、それは「新規事業」である。

 

しかし自分たちにはこれまで、日本語を聞き、話し、読み、書いてきたという「自分の知」がある。これと〝何か〟を新たに組み合わせるとすれば、チームとしてどんな取り組みが考えられるか。

 

そこで、チームの「仲間たちと絶えず対話を重ねて、お互いの『異なる視点』に刺激を受けながら、仕事を進めていく」ということが、可能になるのではないだろうか。

 

こうして、「やさしい日本語ワークショップ」という取り組みに必然的に導かれる。

 

 

 

つまり「知の探索」の方法論として、「工房型」の取り組みであるワークショップを行うことで、チームとしての〝停滞〟から脱出し、ポテンシャルを解き放つことが可能になる。

 

そう考えるなら、すべてが良いこと尽くめなのだ。

 

「やさしい日本語」について理解することも、そのための方法としてワークショップを行うことも、これら全てを〝新規事業開拓〟というキーワードでつなぐことができる。

 

現状ではコロナ禍だから、オンラインで開催するワークショップ形式でもいいから、何かしらのワークショップを行うことを、次のミーティングではっきりさせないと。