長時間のミーティングで見えてきたこと | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

昨日の午前中は、午後に予定されていた私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体のミーティングのために、私なりに考えていることを資料にまとめていた。

 

そして午後は、1時半から5時半まで途中休憩をはさんで、べったりとミーティングが続いた。確認事項や連絡・報告事項などは、いつもよりむしろ少なかった。

 

ただ9月を迎えるに当たり、この先もコロナ禍が続くだろうということを踏まえて、今年度の下半期の活動をどうして行くかについて、かなり長い議論にならざるを得なかった。

 

私も、9~12月段階と来年1~3月段階の2期に分けて、それぞれに実施するというか、獲得すべき内容についての考えを、午前中に1枚ものの資料にまとめていたわけだ。

 

私としても、コロナ禍によって〝人が集まる〟形式でのワークショップが困難だということから、まず910月段階に成すべきこと、1112月に成すべきことを提起した。

 

この2段階に分かれた時間軸の中で、前半にはアプローチ先を絞り込んで、リーフレットとアンケートを送り込む。同時に、送り先の抱えるお悩み相談をお受けする。

 

後半の11月からは、返送いただけたアンケートの回答の分析と、お悩み相談の状況の解析、さらに対象とする職種やターゲットなどのさらなる絞り込みなどを行う。

 

こうして12月までに行った活動の成果を基にして、1・2月にはオンラインでも良いから、少人数でのワークショップを実施し、3月にはその成果を我々なりに集約する。

 

この間、8月初旬には、介護職の技能実習生として日本に来ているベトナム人女性から、彼女が来日以後の生活の中で出会った様々なことをヒアリングする機会があった。

 

同様に、スペインからワーキングホリディで来日し、コロナ禍で帰国ができなくなったため、日本で急きょ本格的に仕事探しを行ったという2人組からも話を聞いた。

 

また日本人サイドで、こうした定住外国人といろいろな形で関わっている人たちからも、それぞれが体験した話の聞き取りを続けてきた。

 

介護職のベトナム人女性と同僚の日本人の方、2人組のスペイン人を急きょ雇い入れた方、多文化共生のために活動をしている方々、技能実習生の働き方のアドバイザーの方など。

 

さらに大学職員で留学生の就職活動と関わっている方や、カフェを経営してこれまでは多くの外国人客を迎えて来た人の話なども聞いた。

 

こうして私の〝聞き書きノート〟もびっしりと数十ページに及び、それこそ日本に定住している外国人の姿が、少しは浮かび上がってくるような話が溜まってきた。

 

ここから何を汲み取り、すくい上げれば、日本人の方が定住外国人とコミュニケーションをする時に、どのような接し方をすれば良いか、という〝問い〟に結び付けられるのか。

 

昨日のミーティングではこうしたことを踏まえて、アンケートをお送りする方々に、アンケートとは別に、お役立ち情報を掲載したリーフレットも渡したいという議論になった。

 

アンケートの回収率を上げるとか、回答したくなってもらうとか、そういったレベルの話とは別に、定住外国人とのコミュニケーションを考える一環にしてほしいと考えた。

 

話がまとまって来たので、細部はこれから詰めるとして、A4で4ページ立てくらいの分量で、この程度の内容は掲載したい、という台割り案を作成するところまで話が進んだ。

 

結果的に午後べったりという、長時間のミーティングになってしまったが。結局は、私が資料を添えて言い出したことを、さらに発展させた形の議論になってしまった。

 

現在はコロナ禍の〝水際作戦〟で、外国人の入国は限定的になっている。しかし、この状態があと5年も続くわけではないだろう。長くても、あと1年ほどで終結すると思いたい。

 

その後を考えれば、日本の若い労働力がやはり不足するということは、目に見えている。その時にそれを埋める存在として、外国人労働力が期待されるだろう。

 

ただし、多くの外国人が〝日本に来たい、日本で働きたい〟と、思ってくれるかどうかはわからない。だから、〝来たい、働きたい〟と思ってもらえる基盤作りはしておきたい。

 

昨日のミーティングで、『DEI』というキーワードが出てきた。「Diversity(多様性)、Equity(公平性)、Inclusion(包含)」という単語の頭文字の組み合わせである。

 

これまでは『DI(多様性と包含)』と言われていた。性別、人種、年齢、信仰など、多様な背景を持った人々を受け入れて、一つの〝集団〟を形成することを想定していた。

 

そこに『Equity(公平性)』が加わった。この「公平性」とは、「Equality(平等)」だけではないことを意味している。

 

「平等」とは「他の人と分け隔てなく、同じ機会やモノを提供される」という状況を意味している。しかし何らかの理由で、その機会やモノを十分に活用できない人もいる。

 

そんな場合に、「その不利な状況を改善するため、さらなる支援や配慮などを行うこと」が「Equity(公平性)」ということだ。

 

「平等」だけではまだ上手くいかない人に、そっと伴走して行くような配慮とでも言えば良いだろうか。多様性があるだけではなく、その多様な人たちが活きるような配慮だ。

 

ここまでの展望と展開があってこそ、多文化共生という社会が生まれてくる、と言ってもいいのではないか。そんな社会が早く来るようになってほしいと思う。