保守政権が守るべき一線を踏み越えた? | がいちのぶろぐ

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自民党政権とは保守政権であり、安倍・前総理の国家観は、天皇を中心とする国家の下で戦前回帰を目指すための憲法改正を、信条としていたのではなかったのか。

 

そうであるとするならば、今回起こった、天皇陛下のご懸念を蹴ちらすような自民党政権のやり方などは、思想的にはネオ・ライトでも保守主義でもないと思う。

 

まさに自分たちの重石となり、碇となるべき存在を、自ら否定するという暴挙に出たと言えるのが、宮内庁長官の発言を官房長官などが全否定した件ではなかっただろうか。

 

今回見せてくれたような、誰かが天皇の上に立って政権を運営するという状況は、日本の過去の歴史でもなかったわけではない。いやむしろ、長くそうだったと言うこともできる。

 

12世紀末、源頼朝による武家政権が確立して以来、一時的に天皇親政勢力と武家政権とのせめぎあいもあったけれど、鎌倉時代から江戸時代まで700年近くはほぼ武家政権だった。

 

今回のオリンピック開催の件で言えば、『尊皇攘IOC』などというつもりは全くないけれど、どこからどうみても、安倍・菅政権はあまりにも酷いことを行っていると思う。

 

これでは、現在の政治状況は〝佐幕派〟と〝勤王派〟が対立した徳川政権末期か、それ以上にひどい有り様だった、室町時代の足利政権末期の状態だと言わざるを得なくなる。

 

足利政権の末期に至っては、足利義政・日野富子夫妻の変てこな政権運営もあり、〝なぜこうなった〟と言いたいくらいに、意味不明に始まってしまった『応仁の乱』もあった。

 

応仁の乱の後には、もはや自分の領地が第一という戦国大名が、切り取りご免の覇権争いをする戦国時代になり、織田信長が足利義昭を押し立てて入京し、どうにか一段落した。

 

その間、天皇家は横の方に〝放ったらかし〟にされていた。それでも、豊臣秀吉も天皇から関白の称号を受け、德川家康も天皇から征夷大将軍を宣下されて政権基盤とした。

 

それを思えば安倍・菅政権は、この国の明治期以来の国家観である大日本帝国憲法で規定されていた国家ともかけ離れ、といって現行憲法も否定する改憲論者だということになる。

 

ではいったい安倍・菅政権は、何を根拠にどのような国家にしたいという意思の下に、国家運営をしようとしているのか。所詮は、何もない空っぽの国家観だということなのか。

 

昨日以来の、天皇の〝お気持ち〟に対する政府の姿勢は、あくまで宮内庁長官の私的意見という見解のようだ。私も、さすがに〝お心を踏みにじる行為〟とまでは言わないけれど。

 

平成以来の30数年間は、昭和時代に対する自己批判的総括の上に立ち、上皇陛下を始めとする天皇家の行動理念は、〝国民に寄り添う〟という基本姿勢に徹して来られた。

 

それに対して現状の自民党政権は、意識的に〝国民から離反する〟政権という姿勢が顕著になっている。これはもう、政権としては〝末期症状〟と言わざるを得ないのではないか。

 

それでも選挙になれば、対抗する野党がだらしないから、自民党政権が多数を占めることになるのかもしれない。いくら、安倍チルドレンの〝魔の3回生〟が足を引っ張っても。

 

もっとも、昨日来の天皇陛下の〝お気持ち〟論争は、現政権にとってみれば、地獄の釜の蓋を開ける結果になりそうな予感がする。

 

もう、〝ぶっ壊れたレコード盤〟のごとく、繰り返し語られる「安全・安心」というお念仏だけでは済まない状態になってしまったのだから。

 

どんな根拠も示すことなく、ただただ口から放たれる精神論以下の、お題目としての「安全・安心」という言葉は、国民の気持ちに〝寄り添っていない〟だけでは済まなくなった。

 

本来であれば、保守政権が最も守るべきはずの国家観、すなわち天皇制というシステムの根本原理さえも揺るがすことになり兼ねない状況を、一連の言葉で作り出してしまった。

 

さてこの決着を、現政権はどのように着けて行くことになるのだろうか。それをしっかりと見届けたいと思う。