6月が、抜けるような青空からスタートした。今日の午前中は、昨年2月に白内障で両眼の手術した後の、3カ月ごとの経過観察に眼科の医院に出掛けていた。
まあ手術後の経過は特に問題もなく、何よりも手術前には、視力が0.1以下くらいにまで落ち込んで、特に夕方以後はもう外出するのが危なっかしい状態だった。
それが、手術を受けた途端に視力が1.2まで回復した。それまでは〝目の前〟のものしか見えなかったのが、以後は遠く離れたところのものがはっきりと見えるようになった。
これは凄いことだ。何が凄いかと言って、読書をしようという意欲が湧いてきた。私自身にとって唯一の趣味と言ってもよい、読書をほぼあきらめる状態になっていた。
手術後も、さすがに手元は焦点が結びにくいので老眼鏡は掛けた方が良いけれど、視力が回復したから、読書そのものは苦痛ではなくなった。読書ができることが大きい。
その結果、京都・観光文化検定の試験を受けてみようと思うくらい、再び文字と親しむことができるようになった自分がいた。
今では、3年計画くらいで京都検定の1級合格を目指したいと思うところまで、人生の最後の生きる目的というか、生きて行く上で目指すべき目標ができている。
というような身辺状況なのだが、それにしてもさすがに今日は午後から暑くなった。これならきっと、30℃を超える真夏日になっているだろう。
ところで昨日は、午後にブログの投稿を終えた後、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体の活動として、夕方に京都市役所まで出掛けていた。
NPO団体の活動を進める上で、国際交流と多文化共生を推進する部署から、現在の取り組み状況を教えてもらい、今後に向けた課題の共有を行いたいと考えたからである。
そこで、団体の代表や事務局担当者と一緒に私も行くことになった。市役所側も、多文化共生の担当係長、担当者だけでなく、ユニバーサルデザイン担当の係長も同席された。
京都市役所でもこうした担当部署では、すでに「やさしい日本語」の必要性や、具体的な取り組みなども徐々に進めておられる。
昨日の会議でも、定住外国人向けのパンフレットや、市役所内部の研修資料として作成されたパンフレット類など何種類も頂戴した。
どれもよくできている。内容も充実している。ここまで取組みが進んでいるのだ、と単純に感激してはいられない。
私は思わず、こうした外国人向けのパンフレット類などが、〝定住外国人に向けて、どのように配布されているのですか〟と、要らない質問をしてしまった。
案の定、苦笑いとともに、市役所・区役所の市民担当の部署へ申し出てもらえれば、お渡しすることができるほか、市の施設なども置いているところがある、という回答だった。
そうなのだ。担当者は〝こうしなければ〟と思って、とても先進的な良いことをしているのは間違いない。役所は、そういうシステムで成り立っている。
課題があり、そのために解決策を検討し、そうして出来上がった解決策に予算を着けて実行に移す。この流れは、常に整然としている。では、いったい何が問題なのか。
こうして解決策が実行に移されて行く過程で、どこで残念なことが発生するのだろう。それは、情報発信ができないというか、広報のための手段がないことだ。
もちろんパンフレットなどができた時には、それなりに各マスコミに向けて広報資料とともにできた現物も渡すけれど、それは小さな記事にして貰えれば、まだましな方になる。
役所側からすれば地道な活動であり、かつ費用も掛かった成果品ではあるのだが、いかんせんインパクトが弱いというか、ニュースとしてのパンチ力がない。
マスコミとはそういうものである。彼らも読んでもらい、見てもらってナンボである以上、多くの人の目を引く魅力的な、またはインパクトの大きいものを欲しがっている。
それが定住外国人と付き合うために、「やさしい日本語」というコミュニケーション手段があり、そのコツやヒントを掲載したパンフレットが出来ました、と言っても弱いのだ。
仮に新聞記事やテレビのローカルニュースになったとしても、一般の市民にはほぼピンと来ないか、スルーされてしまう内容だから。
だからホントにその情報を必要としている人たちに、どうすれば届けることができるかという、〝戦略的な情報発信〟にまではなかなかたどり着かない。
もっとも京都市は大学の街であり、留学生も多いから、大学の国際部など留学生を担当する部局や、国際交流会館といった施設があるから、そこで配布することは有効になる。
今のところ、国際交流会館には置いてあるという説明だったが、各大学に配るところまでは、まだ行われていないようだ。さらに日本語学校という教育機関もあるのだが。
そこまで行ってもらえたら、私たちも嬉しい。さらに、私たちのような民間団体にも、一定部数の配布を依頼して貰えれば、喜んでお手伝いができる。
結局のところ、『課題発見⇒課題解決策の検討⇒課題解決のための施策実行』という流れはきちんと踏んでいるものの、ホントの意味で『施策実行』になりきれていない。
そこが行政の持っている弱みなのだと思う。あと一歩のところをクリアできたら、真に必要としているところに施策が届くと思うのだが。