今日はこれという予定もなかったので、午前中からズーッと、この間に買い溜めをした本を、あれこれと拾い読みを始めていた。
林屋辰三郎先生の「京都」(岩波新書、1962)や、斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」(集英社新書、2020)、上野千鶴子さんの「情報生産者になる」(ちくま新書、2018)など。
読み出すと止まらない。どれもが面白くて、ついつい引き込まれて読んでいるうちに、2,3時間が経過しているという状況になってしまった。
いやもうどの本も脳細胞が整理を仕切れなくて、頭の中がパニックになってしまいそうだ。だけど、とにかく内容が面白い。
例えば斎藤氏は「はじめに」で、次のように書かれる。「かつて、マルクスは、(中略)『宗教』を『大衆のアヘン』だと批判した。SDGsはまさに現代版『大衆のアヘン』である」と。
だから「アヘンに逃げ込むことなく、直視しなければならない現実は、私たち人間が地球のあり方を取り返しがつかないほど大きく変えてしまっている」と言われる。
この問題提起から、私たちが日常生活を営んでいること自体が、「帝国的生活様式」と呼べる、かつての帝国主義のような生活だ、という主張になる。うーん、辛いなあ。
これから、じっくりと腰を据えて斎藤氏の論述とお付き合いをして行こうと思う。新たな解釈に基づく〝マルクス〟論ということも言えるようだから期待して読もう。
林屋先生の「京都」は、古代の京都から始まって、平安時代、鎌倉時代、室町時代というように、それぞれの時代を象徴する京都の中にある場所を取り出し、その〝場所を解説すること〟を通して時代相をあぶり出しておられる。
これも話が面白いし、何よりも発刊が1962年である。現在からすれば60年前に書かれた本である。60年前であっても、相手にしているのは千年の古都である。
だからどの話も古寂びることはない。それこそ、今、林屋先生が眼前に現れて講演をされたとしても、同じお話が聞けるだろう。そういう中味になっている。
この先、読み進めれば、中世に起こった「法華一揆」と「一向一揆」の闘いということも書かれている。このことは、中学や高校の日本歴史の教科書にはあまり記載されない話だ。
例えば、織田信長は「本能寺」で明智光秀に討たれた。では本能寺は〝何宗〟の寺だったのか。日蓮宗の寺なのである。日蓮上人が創始した〝法華〟を教義とする宗派である。
現在の本能寺は、織田信長が討たれて焼け落ちた後に、鴨川に近い寺町通りに移転しているが、今も「法華宗本門流」の大本山という位置付けになっている。
その他にも、京都市上京区の〝寺之内通り〟と〝寺町通り〟には、日蓮上人の直弟子になる六大弟子の系譜に連なる、日蓮宗や法華宗の寺々が数多く存在している。
現在は、西本願寺・東本願寺という浄土真宗の総本山や、知恩院という浄土宗の総本山が、観光名所としても知られている。中でも法然上人の浄土宗の寺々は京都に数多くある。
しかし、親鸞聖人は北陸や北関東におられた時期も長く、また大坂の石山本願寺で織田信長と長期戦を戦ったという歴史もあって、浄土真宗の寺は京都にはそれほど多くない。
むしろ、大坂の石山本願寺の前に「山科本願寺」があった時代に、法華宗徒の京の町人と一向宗徒の近郊農民が闘ったという歴史がある。
しかもそこに、その当時は衰えつつあったとはいえ、比叡山の天台宗の僧兵までが絡んでくるという、トンデモな宗教戦争までが京の町中で繰り広げられたということだ。
そんなことがあって京都の町人は、当時は多くが日蓮宗系の信徒だった時期がある。そして寺之内通りの辺りにある日蓮宗系の寺々には、今も様々な寺宝もあれば、数多くの伝説も残っている。
こんな面白い本を読んでいれば、ちょっとやそっとでは止められなくなってしまう。だから、今日はもうブログを書くのは止めにしようか、と思ったくらいだった。