世間は新年度がスタートだけど | がいちのぶろぐ

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41日、新年度がスタートする日。人事異動でそれまでの部署変わる人、新たに入って来る人、そして職場を去って行く人など、1年でも人事上の動きが大きな日。

 

 

 

私にとっては、もうそうしたこととは縁がなくなって久しい。何よりも、多くの個人事業主の方々であれば、こうした人事の問題は起こらない。あくまでサラリーパーソンの話だ。

 

私がお手伝いをしていた高校の「総合学習」も、授業サポーターとして引っ張り込んでくれていた担当教員の方が、昨日付けて公立高校を定年退職され私立高校へ転籍された。

 

 

 

だからこの4月からは、「総合学習」のお手伝いをするために、毎週高校へ出向く必要が無くなってしまった。

 

ちょうどそのときを待っていたように、私は病気の宣告を受けて入退院を繰り返すことになってしまった。だから、〝今年度もお手伝いを〟と言われても無理な話だったが。

 

それにしても多くの学校や企業では、3月に従来通りの卒業式や、人事異動の送別会などが開催できなかったところも多かったことだろう。

 

コロナ禍でこのように我慢を強いられている人が多いにも拘らず、そんな人たちをあざ笑うように、無定見にも大人数で遅くまで送別会を行い、非難が集中している厚労省もある。

 

まともな判断能力を欠き、「我々は、何をしようと許される人間だ」という思い上がった気持ちでいるクズ人間どもが、この国の〝官僚絶対主義〟の姿を見事にあぶり出してくれた。

 

こんな規律違反があれば、民間企業なら懲戒解雇か、良くても依願退職で放り出される。それが公務員であるがゆえに、減給か戒告程度で済むだろう。何という厚遇・優遇だろう。

 

こんなことを考えていたが、思い返せば「アベノマスク」を全国民に配ると発表されたのも、1年前の41日のことだった。この日から、この国の歪みが大きくなっていった。

 

 

 

誰もが喜ぶはずもない政策に460億円という巨額を投じ、その政策を検証も総括もせず、政策を推進した人間が責任を取ることもなく今日に至っている。バカバカしい話だ。

 

この延長線上に、今回の厚労省の送別会の問題がある。誰も〝事の本質〟を理解することもなければ、自分たちはこうしたことが許される存在だと、勝手に認識しているのだろう。

 

そんなことを思っていたら、空手道の東京オリンピックの代表に決定している女性選手が、空手道連盟の強化コーチから竹刀を使って指導され、目にケガを負っていたという。

 

あきれてものが言えない。これは、パワハラといったレベルの問題ではない。スポーツ指導における根本的な〝倫理の崩壊〟である。竹刀を手にした時点でアウトだ。

 

「無理偏に拳骨と書いて兄弟子と読む」という、大昔に相撲部屋で行われていた指導方法そのものではないか。時代錯誤もここまで来れば、立派な〝世界遺産〟級の人間だ。

 

森喜朗・東京五輪パラリンピック組織委員会・前会長の、ジェンダー平等の意味がまったくわかっていない発言も、今回の空手道の指導と同根から出ている問題だと思う。

 

それは「男性・年上・旧弊の指導者などに『都合の良い社会』は、女性・年下・指導される側には『同意など無視される、耐え難い社会』を前提に成り立っている」ということだ。

 

自分たちにとって居心地が良い社会は、きっと誰か居心地が悪い人の我慢と忍耐の上に成り立っている。それを本人たちに、どう認識させるかは難しい課題だと思う。

 

自分たちは居心地が良いのだから、それで何の問題もないと思っている。つまり、奴隷制度が存在する状況において、奴隷を保持する側が奴隷を見ても何も感じないのと同じだ。

 

「あなた方は、奴隷制度の上にアグラをかいている」と、面と向かって言ってみても、「今の時代に、そんなことは有り得ない」という、無自覚な反応しか返ってこないだろう。

 

事実上そうであることを理解できない人たち相手に、教育くらいで何かが変わるとは思えない。それが証拠に、地方議会と言われる市町村議会などでは、女性議員が極度に少ない。

 

女性が政治に参画すること自体が、許せない事態だと考える男性がまだまだ多いと思う。そうでなければ、女性議員ゼロという市町村議会が3割もあることの説明がつかない。

 

こんな国で、ジェンダーの話などしてみても、「それって何の話?」というレベルなのだろう。「お上意識」、「男性本位社会」などは、いずれも同じ意識構造から出てきている。

 

霞が関の官僚にしてみれば、今もなお「寄らしむべし、知らしむべからず」という感覚だと思う。〝下々〟にはお触れを伝えればよく、情報などは与えるべきではないのだろう。

 

それにしても悲しい国だと思う。こんな状態になっても、なお政権政党が変わらないという悲しい状況なのだ。こうなっても、政権政党を支える思想とは何だろうか。