城南宮の「しだれ梅」を見物に行きたい | がいちのぶろぐ

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京都新聞の今日の朝刊に「城南宮」の「しだれ梅」の記事が出ていた。数日前のフェイスブックにも、この「しだれ梅」の写真を投稿している方がおられた。なんと豪華なことか。

 

 

 

今まで私が出掛けた京都の〝梅見〟は、有名な北野天満宮の梅苑や、名前に〝梅〟が付く梅宮大社と梅小路公園、多様な花木が植えられている京都御苑(御所)と京都府立植物園だった。

 

 

(北野天満宮/本殿と飛梅)

 

「城南宮」は、我が家からはかなり遠い京都市の南の外れにあること、私が〝梅の名所〟だとはまったく知らなかったことから、今まで〝梅見〟に出掛けたことがなかった。

 

ところが、今日の京都新聞の記事では「社殿の西に広がる『春の山』では、京都随一といわれる150本のしだれ梅が薄紅や紅白の花を装い」と紹介されていた。

 

何ということでしょう!これは、何が何でも行かなければならない。現在、私は体調が決して良いわけではない。体重が一気に5kg以上も減少している。食事はよく吐き気がする。

 

 

 

こんな体調であっても、これを見逃す手はないと思う。来週の半ばあたりは、天気も何とか持ちそうな予報になっている。ということで、これは是非にも行って来ようと思う。

 

 

(フェイスブックの写真/無断です。ごめんなさい)

 

そもそも「城南宮」というお宮さん自体は、かなり有名な場所である。平安遷都に際して、「王城の南の守護神」として創建されたという古い歴史を持っている。

 

さらに白河上皇が「鳥羽殿」と呼ばれる「院政の場」を造営した時に、その鎮守社とされた。さらに鳥羽上皇が殿舎を建てて、一帯が「鳥羽離宮」と称された時代もあった。

 

時が下って幕末、「戊辰戦争」の口火を切った「鳥羽・伏見の戦い」は、この城南宮の参道に置かれた〝薩摩軍の砲撃〟から始まったとされている。

 

この鳥羽・伏見で、幕府軍や新選組と薩長連合軍の激戦が行われ、その後はご存知の通り〝官軍〟の進撃と江戸城無血開城から、土方歳三の函館・五稜郭戦争へと、幕末の歴史が急展開して行った。

 

だから「城南宮」そのものは、日本史の教科書にだって出て来るくらいのお宮さんだ。ましてや「城南宮」の〝平安の庭〟では、現在も「曲水の宴」が春・秋の観光シーズンに行われている。

 

 

 

という場所だから、何が何でも行こうと決めた。そう言えば来週の33日は桃の節句だ。とりあえず〝頃は春〟、我が家も昨日から玄関の下駄箱の上にお手製の雛飾りが乗っている。

 

 

 

ただし、あくまで〝下駄箱〟である。シューズボックスなどという、おシャレなものではない。ただ、けっこう上部が広いので、玄関の飾り付けには向いているようだ。