ジェンダー平等のために「何をなすべきか」に焦点を | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

昨日宣言したように、このブログはこれから10日間ほど、私の入・退院の話をメインの話題にはせず、私があれこれ思ったことをまた書き散らかして行こうと思う。

 

だから面白くもおかしくもない、それこそ退屈でつまらない話題が多くなると思う。それでも、〝書きたいことを書く〟という姿勢で続けてきたのだからご容赦願いたい。

 

さて、今日配信のダイヤモンド・オンライン誌に掲載されていた、ハーバード・ビジネス・レビュー誌から転載の「ジェンダー平等は女性だけでなく男性にも利益をもたらす」という記事が目に留まった。

 

この記事は冒頭で、「男性がジェンダー平等の話をしたがらない理由はわかりやすい。ジェンダー平等が実現したら自分の職場での地位が危うくなる」と考えるからだという。ある意味、実にストレートな本音の話からスタートしていた。

 

そして、「男性をダイバーシティ(Diversity:多様性)、エクイティ(Equity:公平性)、インクルージョン(Inclusion:包摂)のDEIイニシアチブに巻き込む最善の方法の一つは、ゼロサム・バイアスをなくすことである」と、結論を早々と述べている。

 

そもそも「ゼロサム思考はその定義上、勝者と敗者を生む。ゼロサム思考の人々にとって、世界は自分が勝って相手が負けるか、相手が勝って自分が負けるかのいずれかしかない」という考え方なのだ。

 

つまり〝ジェンダー平等〟という話題になれば、多くの男性が〝対女性〟という枠組みの中で、勝ち負けの問題として争うことになりがちだという主張である。まったくその通りだと思う。

 

先日、誰かさんが〝のたもう〟た「女性は話しが長い」とか、「わきまえた女性」という発言の根底を成している考え方は、この「ゼロサム思考」から来る〝勝ち負け論議〟なのだ。

 

だから今日の記事でも、「ゼロサム思考は誤りであるにもかかわらず、職場におけるジェンダー平等の流れにおいて深く浸透している」と語らずにはいられなかったのだろう。

 

この記事の筆者は、「カティカ・ロイ デイビッドG.スミス W.ブラッド・ジョンソン」という、アメリカに住んでいる(だろう)人たちなのだが。

 

日本が例外的にひどいということではなく、「ジェンダー平等」を成し遂げるということは世界中のどの国であっても、中々に難しい問題であるということだ。

 

先日の誰かさんの発言は、はしなくも日本におけるその悪しき典型例を示してくれたという意味で、特筆に値するものであったことは間違いない。

 

ということで、記事では「ゼロサム・バイアスを克服し、ジェンダー平等を目に見える形で改善して、経済的メリットを手にするのに役立つ6つの行動」が示されていた。

 

それらは、以下のようなものだった。ほぼ原文を〝パクる形〟で抜き出している。

 

(1)会社の経済的利益の観点からジェンダー平等を数値化する

上層部の構成に偏りのない組織は成功し、収益性が高く、イノベーティブである。その結果、多様性のあるインクルーシブな組織に属している男性自身が、情報アクセスの増加や人脈の多様性の向上、対人スキルの向上を実感する。

 

(2)業績評価にDEI指標をリンクさせ、リーダーに変化への責任を持たせる

標準的なDEIスコアカードの導入が、部門間のジェンダーギャップを解消するうえで重要な役割を果たす。

 

(3)ジェンダーインテリジェンス、共感、自己効力感を開発する機会を提供する

女性が職場で経験することや、女性が直面した難題に対する認識を深めることは、ジェンダーバイアスや性差別に対する態度を変え、共感に基づく動機づけをするために不可欠である。

 

率直に話し合える場を設けることで、同僚に共感を抱いたりすることを学べる職場環境を育む。互いを頼るようになれば、心理的安全性や信頼感が醸成される。

 

(4)誤認されている社会の基準を明らかにする

 

(5)ジェンダーを超えた仕事上の人間関係を確立する

仕事の場におけるポジティブな交流が、ステレオタイプや偏見、ゼロサム・バイアスを打ち破る。

 

(6)コア事業の成果や企業のミッションに、介入を取り入れる枠組みをつくる

DEIイニシアチブは多くの場合、コンプライアンスを目的としたトレーニングの一部に取り込まれ、「何をすべきでないか」を指導することに焦点を当てる。そうではなく、組織のメンバーとして全従業員に共通して、「皆が何をすべきか」に焦点を当てよう。

 

このように、「ジェンダー平等」を達成するためには、組織としての〝仕組み化〟が必要だけれど、その根底には「女性が直面した難題に対する認識を深める」ために、「率直に話し合える場を設けること」が据えられている。

 

それは「ジェンダーバイアスや性差別に対する態度を変え、共感に基づく動機づけをするために不可欠」のことだという認識に立っている。

 

そして、社内トレーニングは「『何をすべきでないか』を指導する」というネガティブな視点から、「『皆が何をすべきか』に焦点を当て」るという方向へ導くことを求めている。

 

記事はわかりやすく説明されていて、しかも問題点がどこにあるかも明瞭に示されていた。

 

その結論として、「性差別やゼロサム・バイアスなど、ジェンダー平等に対する制度的な障壁を取り崩すためには、職場での行動や文化を実質的に変えることが求められる」と結ばれていた。

 

ともすれば〝言葉狩り〟のように捉えられがちな、差別(性差別・民族差別・身体的差別など)に関わる〝用語〟の問題だが、本質は「ゼロサム・バイアス」という、〝差違〟に根差した無意味な〝勝ち負け〟論争だったのだ。

 

だからこそ、本質的に〝勝者も敗者もない平らな世界〟があるだけという、当たり前のことをもう一度見つめ直してみるべきだろう。