第2次退院その⑤体は不調だが、面白い記事と出会った | がいちのぶろぐ

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今週の火曜日に第2回目の退院をしてから、今日で4日が経過した。この間も放射線治療は続いていたから、現在の体調はほぼ〝どん底〟の状態だと言ってもいいだろう。

 

食欲は落ちているし、胸の〝むかつき〟具合も日を追って強くなってきている。さらに、両脇の下と喉からみぞおちを結ぶ線の交わる辺りが、かなり痛みを増して来ている。

 

 

 

毎食ごとに食べたものを記録しているけれど、ほとんどが小ぶりのロールパンやミニクロワッサン。それも〝おかず〟となるような、野菜も肉っ気もほとんどないという状態だ。

 

毎朝計測している体重も日に日に減っていって、退院した日からの4日間だけでも1kg落ちている。困ったことだが、こればかりは耐えるしかない。どうすることもできないから。

 

家人に言わせると、〝つわり〟がひどかった時の自分もそんな感じだった、とケロッとしている。男女差別ではなく、これは生物学的な〝生存適性の差〟と言うべきだろう。

 

それにしても、〝か弱き者、汝の名は〟と自分に向かって言いたくなるくらい、私自身も徐々に弱り始めているのだろう。

 

ところで、昨日配信されていたダイヤモンド・オンライン誌で、ちょっと面白い記事を見かけたので、その内容を紹介しておきたいと思う。

 

「『旅はつまらない』と思う人に決定的に欠けていること」と題された、『0メートルの旅』という本の著者の岡田悠氏へのインタビュー記事である。

 

岡田氏は、学生時代からバックパッカーとして世界を歩き回り、仕事に就いている現在も、有給休暇はすべてバックパッカーとして旅を続けている、という方だと紹介されていた。

 

 

 

その岡田氏は、「面白いことが起きない人って、すべてを思い通りにしようとする。自分の思い通りにいかないことを全部排除しようとする」から、「そういう姿勢だと、なかなか旅は面白くならない」と語っておられた。

 

それはそうだと思う。「言葉も文化も何もわからない国で、『自分は何もできない』という無力感」を知れば、「『想定外を受容する』のが旅を楽しむコツ」になってくるという。

 

良いですねえ、この感覚は。「何事においても『想定外のことが起きたときに、そっちに流されていけるゆとりを持っておく』ようにしている」と、仕事観までそれを貫いている。

 

さらにこのコロナ禍においても、「今は、『どこにいても旅はできる』と思って」いると言われる。

 

「たとえ遠くに行かなくても、旅はできる」というコンセプトで物事を見ている。それは「旅はもっと自由で、もっと身近に見つけられる」ものだから、ということらしい。

 

 

 

結果として岡田氏が行っている『旅』というものは、「定まった日常を離れて、どこか違う瞬間へ自分を連れていくこと。そしてより鮮明になった日常へ戻っていくこと」なのだ。

 

「どこへ行こうと、予定も目的も固定概念もすべて吹っ飛ばして、いま目の前にある0メートルを愛すること。それが旅の正体じゃないか」と結論を述べておられた。

 

この素晴らしい皮膚感覚の中にこそ、旅をすることの真髄というか〝醍醐味〟が詰まっているのだと思う。

 

岡田氏へのインタビューという、この文章に出会ったことで、私が関わってきた「半径3kmの旅」のコンセプトが、またひとつ明確なものに生まれ変われるように思えてきた。