節分を避けて壬生寺へお参りに | がいちのぶろぐ

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朝から快晴で暖かな日になった。こんな時でなければ、なかなか出歩く気にもなれないからと、午前中に〝遅ればせ〟ながら「節分詣で」に壬生寺へ出掛けた。

 

市バスを「壬生寺道」バス停で下車。昔は「四条坊城」という名前だった。四条通と坊城通が交わっているところ、という意味。バス停の真ん前に「梛(なぎ)神社」がある。

 

 

 

幟には「元祇園 梛神社」と記されていて、幔幕の紋も「祇園さん」八坂神社と同じ。ということは、元々はここに牛頭天王などを祀っていた宮があったのだろう。

 

 

 

 

それがいろいろあって、今の四条通の東端の八坂神社(祇園社)の地に遷ったと思われる。だから、こちらは「元祇園」ということになる。こういう例はけっこうあちこちにある。

 

京都府の北部、天橋立の北側に接して鎮座する丹後一之宮の「籠(この)神社」は、伊勢神宮として遷される前の〝宮〟だったと考えられるから「元伊勢」と名乗っている。

 

また京都市の西、明智光秀で脚光を浴びた亀岡市にある「出雲大神宮」は丹波一之宮で、ここから出雲大社へ勧請(かんじょう)されたという社伝から「元出雲」と称している。

 

このように神社の系譜も、どこそこから神様にお越しをいただいて新たな宮が成立するが、新出来の方が栄えることもある。そうなれば、元のところは「元〇〇」と称して、自尊心を満たさないといけない。

 

これもなかなか大変な話かもしれない。天神さんだって、京都の北野天満宮が総元締だが、福岡県の太宰府天満宮だって、菅原道真公が左遷されてからずっとおられた場所だ。

 

 

(数年前に出かけた太宰府天満宮)

 

とまあ、神社というのはそれぞれが中々に大変な歴史を持っていると思う。という梛神社から、坊城通を南へ5分余り歩けば壬生寺に到着する。

 

その壬生寺まで行く間に、「幸福堂」という〝金つば〟で有名なお店がある。節分の日などは、このお店には多くのお客さんが行列をして取り巻いている。

 

 

(以前の節分の幸福堂の前の行列)

 

また「幸福堂」の南隣には「八木」さんのお家がある。この八木さんは多分、日本で一番ファンの多い八木さんだと思う。

 

 

 

阪神タイガースの代打の神様だった八木選手も、漫才コンビ・サバンナの八木さんも、残念ながら足元にも及ばないだろう。

 

だって、ここは「新選組の屯所」だった「八木家」だから。土方歳三ファンなどがやって来るから、有料で公開されている。また、八木家のお向かいの大きな家は旧・前川家。

 

 

 

こちらも新撰組が使っていた。「池田屋騒動」のきっかけとなった古高俊太郎が捕まっていたのもこの家だし、新選組総長の山南敬助が切腹させられたのもここ。

 

 

 

 

そして、八木邸の南隣が壬生寺という位置関係になる。だから、壬生寺には新選組隊士を祀った壬生塚という慰霊塔もある。ただしこの壬生塚は有料公開(200円也)。

 

 

 

この壬生寺は、節分に直径25cmほどの素焼のお皿「炮烙」に願い事を書いてお納めすると、ゴールデンウィークに開催される「壬生大念仏狂言」で「炮烙割り」が上演され、節分に奉納した炮烙が、舞台から落とされて割られる。

 

 

 

 

これで願い事が叶うということになっている。そこでここからが本論。この壬生寺は、節分には京都で最も人出が多く混雑する場所の一つである。だから「密」になる。

 

 

(以前の節分の炮烙売場の混雑ぶり)

 

壬生寺としても、この緊急事態宣言が出ている状況でそれは困る。だから分散して来て欲しい。けれど、壬生寺に来てもらえるのは「炮烙」に願い事を書いて納めるから。

 

ということで、今年は壬生念仏狂言が行われる日まで、そして炮烙がすべて売り切れるまで、炮烙に願い事を書いて納めてもらえる、ということにした。

 

その情報を、私は偶然に見つけていた。おっと、これは良いことではないかと思った。今年は2日が節分だったから、それから最初の週末となる今日、私は壬生寺へ出掛けた。

 

 

 

ということで、壬生寺は予想通りというべきか、とにかくガラ~ンとしていた。節分の期間は、四条通から壬生寺までびっしりと露店が出るのだが、今年はそれもなかったらしい。

 

そして今日など、お寺はガラ~ンとしていた。例年のように節分に来れば、人出で押されながら炮烙を求め、筆を手に取るのも〝やっとこさ〟という感じだが、今日は私一人だけ。

 

74才男・73才女 病気平癒」と下手くそな文字で炮烙に書いて、600円也とともにお納めした。これで、ゴールデンウィークには壬生念仏狂言の中で、私の炮烙も割ってもらえる。

 

それにしても、節分の日にお参りすれば、本堂の横にある「千体仏」のパゴダなど、まず見ることもない。それよりも境内で行われている「護摩供」の方に引き寄せられてしまう。

 

 

 

 

(こういう人出が当たり前だった)

 

今日は青空をバックに、ビルマ風(今はあえてミャンマーと言いたくないので)のパゴダを見上げていた。これはこれで良いものだ。

 

 

 

壬生寺からの帰路は、「幸福堂」の〝金つば〟と〝銀つば〟を買い求めた。〝金つば〟は黒餡、〝銀つば〟は白餡仕立てになっていた。

 

それと、このお店とキティちゃんがコラボしたエコバッグも買い求めた。これに関しては家人が「ショウもないモンを買うて」と怒っていた。いや、そこは有りだと思っておこう。

 

 

 

こんな日になったのだが、とにかく壬生寺も、八木邸も、幸福堂も、どこもかもガラ~ンとしていた。少し「密」なのは最後に立ち寄ったデパ地下だけ、ということになっていた。