昨日はお手伝いをしている高校の「総合学習」のために、午後は高校へ出掛けていた。と言っても、昨日は5つのグループの4つまでがフィールドワークに出掛けてしまった。
それぞれが出掛けた先は、自分たちが知りたいことを確認するためであったり、ここまでのデータを補強し、最終的に整理するためのヒアリングであったりと様々だった。
ただフィールドワークに出掛ける目的こそ違っていても、いよいよ追い込み期に入ってきた中で、これまで自分たちが考えてきたことへの補充的な意味合いが強くなっていた。
そんな中で「伝統工芸」をテーマとしているグループは、友禅染の老舗会社が運営している工房へ出掛けて、型染めの体験を行ってみるということだった。
先々週には、西陣織の資料館のような「織成館」という施設を見学し、その後〝組み紐〟の工房も訪問してヒアリングなどを行ってきた。
この生徒たちは、今まで伝統工芸とか伝統産業という言葉とは触れる機会があっても、それがどんな工程でどんなものが作られているのかといった、実感とか手触りといったものは全く白紙だった。
だから、机上のディスカッションだけではわからないことを、現場に出向いて肌感覚として知っておきたい、というように感じてきたらしい。
出荷額の減退や後継者不足などという伝統工芸業界が抱えている課題は、本から得る知識やデータとしては知ることができても、そもそも現場でどんなことをしているのかはわからない。
だから、何よりも現場の姿を自分たちの目で見てから、あらためてこの業界で課題となっていることを議論して行こう、ということになって来たのだと思う。
恐らくは、この伝統工芸という業界が抱えている課題の根の深さというか、現状の〝しんどさ〟を知れば知るほど、生徒たちの議論も泥沼に入り込みかねない。
だから、そこは高校生らしく割り切って、自分たちが知らなかったことを知って行く過程を素直に表現して、同世代の若者に向かって実情を発信するだけで良いと思う。
一朝一夕でどうにかなるようなことであれば、すでに大人たちの努力で決着がついているだろう。そうはならない原因があるから、業界全体が苦しんでいる。
そこを生徒たちが掘り返してみても、それでは次のステップへは進んでいけない。だから、自分たちが知ることができた驚きを、そのまま素直に驚きとして発信すればいい。
知らないで済ませていれば、それは永遠になかったことになってしまう。そこを突っ込んでみた結果、自分たちはこんな驚きが体験できたということでいい。
そこをきちんと訴えることができれば、その先はまた別の誰かが、生徒たちの投げたボールを受け取ってくれるかもしれない。そう思ってくれればいい。
若い人たちにすれば、自分の生活がほぼ西洋風になってしまった中で、伝統工芸が生活の場でどんな役割を果たせるのかを手探りで考えてみたら、こんなことが見えてきたということで十分だと思う。
もう残すところは、あと数回の議論の時間しかない。であれば、こうして現地に足を運んだ中からつかみ取った驚きの中味を、同世代に向かって発信できればそれで十分な成果になると思う。
同様に、和装(着物)について考えているグループは、昨日はレンタル着物屋さんにヒアリングに出掛けていた。これまで外国人観光客が〝着物姿で京都を町歩き〟という光景が多かった。
その場合、着るのはもちろんレンタル着物だったけれど、コロナ禍で外国人が消えてしまった京都の町で、現在も案外多くの着物姿の女性を見かける。
これは日本の若い女性が、ちょっとしたイベント感覚として着物姿で出歩いているのだろう。この秋だけでも、私自身がそうした光景とかなり出会うことがあった。
つまり、若い女性も着物への興味はあるけれど、和装一式を揃える価格の問題や、着付けという技能の問題から、なかなか手が出せなかった。
だが、レンタル着物がそれを満たす方法としてポジションを確立した。だから、レンタル着物屋さんにヒアリングして、自分たちの仮説を強化したいということになったようだ。
私も以前に、このグループに対して、古着なら〝手が出る〟価格帯で購入できるというアドバイスをしたこともあった。
着物という〝民族衣装〟を着る機会さえ作り出せば、着てみたいと思う若い女性も少なくないだろう。だから、このグループの生徒たちは、気軽に着物と接する機会作りを仮説にしているようだ。
こうして、自分たちが選んだテーマと数か月間向き合って来て、どうにか自分たちなりの結論に向かって歩き出している。もう一息の頑張りだ。
来週は早くも、2学期の学期末試験を迎える。その後も12月下旬まで授業はあるので、その期間に仮説を肉付けし、ビジョンを達成する方策をまとめる段階になる。
この時期が、横から見ていて一番楽しい時になる。ここできちんと仕上げられないと、1年間の作業が無駄になってしまう。さあ、生徒たちには頑張ってもらおう。