「平安宮」を巡る街歩きのアイデア | がいちのぶろぐ

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延暦13794)年、桓武天皇が平安京に遷都した。この年号は「鳴くよウグイス、平安京」という語呂合わせとともに、覚えておられる方も多いだろう。

 

平安遷都から1100年に当たる明治281895)年に、1100年記念行事の一環として、平安時代に国会議事堂のような役割だった「朝堂院」を模して「平安神宮」が建てられた。

 

 

(平安神宮)

 

そして遷都の日である1022日には、奉祝行事として「時代風俗行列」が行われ、それ以来京都の三大祭の一つの「時代祭」として定着するようになった。

 

 

(時代祭/維新勤皇隊列)

 

というような歴史を持っている平安京で、皇居と国会議事堂と霞が関の官庁街を合わせたような場所になる「平安宮」の、〝遺跡を訪ねる旅〟が組み立てられないかと考えている。

 

 

(平安宮の復元図)

 

同志社大学院のオープン講座「ソーシャルイノベーション研究プロジェクト」で、私が参加している「半径3キロの旅」というチームのテーマである「あなたが主役の旅を作る」という企画のネタである。

 

再来週にある次回の授業の際に、この「半径3キロの旅」のアイデアを持ち寄る、というチーム内の宿題が出たために、「平安宮の遺跡を訪ねる旅」という企画を考えついたのだ。

 

「平安宮」は「大内裏」とも呼ばれ、天皇の住まいである「内裏」と、政務の場所であった「朝堂院」、それに儀式・祭典の場であった「豊楽院」と、それらを取り巻くように官庁街が存在していた。

 

 

(平安宮の「内裏」復元図)

 

政務の場所である「朝堂院」の中心となっていたのが、「大極殿」という建物だった。この「朝堂院」全体を8分の5に縮小したのが、現在ある「平安神宮」ということになる。

 

 

(平安神宮/平安宮の大極殿を模した建物が拝殿に)

 

残念ながら「平安宮」の建物自体はすべて失われ、現存している建物はまったくない。それでも、機会があるたびに発掘調査が行われて、おおよそのことはわかるようになった。

 

それと同時に、京都市では「平安宮」の中でも天皇の住まいだった「内裏」の、それぞれの建物の場所には石碑を立て、説明看板を設置している。

 

 

 

 

現在、〝京都御所〟と通称されている「京都御苑」と、その中心になっている「京都御所」は、随分時代が下った豊臣秀吉の時代から、江戸時代になって德川幕府によって完成されたものだ。

 

ただし現在の「京都御所」の中心である「紫宸殿」や「清涼殿」などは、「平安宮」の時代の「内裏」にも存在していた「紫宸殿」や「清涼殿」に則した建築として作られている。

 

 

(現在の京都御所「紫宸殿」)

 

というようなことで、この平安時代初期の「平安宮」というか「大内裏」は、実はとても広い面積を占めていた。

 

京都の地理に詳しい方ならお判り頂けると思うが、北は今出川通りの少し南側から、南は現在のJR二条駅の前にある御池通りの近くまであった。南北は約5.2km、東西も約4.5kmにわたっている。

 

中央の大通りは道幅85mもある「朱雀大路」と呼ばれる道だった。これは、ほぼ現在の千本通りに沿っている。そしてその行き着く先が「東寺」の少し南になる九条通りで、そこには巨大な「羅城門」が建っていた。

 

 

(羅城門の10分の1模型/これでも横幅は4mほども)

 

ということで、政務の場所だった「朝堂院」の中心の「大極殿」は、現在の〝千本丸太町交差点〟付近にあったということもわかっていて、歩道にプレートが埋め込まれている。

 

 

 

この「大極殿跡」から「内裏跡」を歩き回る「平安宮の遺跡を訪ねる町歩き」を、私なりの「半径3キロの旅」として提案しようと考えている。

 

ただし〝直径〟3キロ圏内にある、〝石碑〟を見て回るようなものだから、好きな人には面白いと思ってもらえそうだけど、〝だから何?〟と言われると返答に困ってしまう。

 

 

 

この地域の〝白地図〟を片手に、参加者が石碑や何かの案内板などを探しに、自分で歩き回ってもらい、それらを写真に収めてもらう。

 

最終的にはどこか場所を決めて集合し、その場で写真の数が多かった方に、〝千本通り商店街〟にちなんだ商品を渡すことにしてはどうだろうか、というアイデアである。

 

 

(千本通り商店街のイベントの幟)

 

もちろん行動の途中でも、終わってからでも、ツィッターやフェイスブック、インスタグラムなどのSNSに投稿してもらえたらうれしい。

 

そうすることで、ひょっとしたら歴史好きな方がSNSを見て、そこを訪れてくれるかもしれない。その際には、千本通り周辺の飲食店などを利用してもらえるかもしれない。

 

 

(千本通りにあるそば処「大膳」)

 

もちろん町歩きの途中で、飲食店に立ち寄る参加者がいることも考えられる。こうして、商店街にも多少の還元ができる可能性がある。

 

さらに言えば、この地域のことに詳しいのはどの店のご主人か、といったことも事前情報として白地図に書き込んでおけば、地元との交流も作り出せるかもしれない。

 

こんな虫のいいことを考えて、この企画を完成させたいと思っているのだが。