定住外国人との多文化共生を可能にするために | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

昨夜の同志社大学院の「ソーシャルイノベーション研究プロジェクト」では、このオープン講座を支援している京都府庁の担当者の方から、府の「地域・住民活動」に対する支援策の説明を受けた。

 

 

 

こうした説明を聞くたびに思うのだが、必ず「地域の課題」という言葉が出て来る。まずここで話される「地域」とは、どんな範囲のこととして話されているのだろうか。

 

例えば活動の対象とする地域住民は、極端に言えばその都道府県に住んでいる人であれば良いのか。

 

そうであれば、ターゲットはほぼ誰でも良いことになるが、現実に助成金の申請などをしようとすると、具体的な地域住民の関わり方を聞かれることになる。

 

また「地域課題」というけれど、地域住民の多くが感じている問題であれば良いけれど、一部の意識の高い人だけが〝課題〟だと言っているのであれば、それって本当はどうなんだろうと思ってしまう。

 

多くの人にしてみれば、今は課題だと思っていないだけで、近い将来にはきっと課題になってくるということなら良いけれど、結局は地域の人に理解されずに終わることも多い。

 

私自身が関わっている「定住外国人支援」に関するNPO団体の活動だって、多くの人にしてみれば〝われ関せず〟と言うテーマであることは間違いない。早い話が〝お節介〟なのである。

 

それでも定住外国人が増えてくれば、商店街や保育園など、定住外国人と接する機会が増えて来る仕事は多い。そこで働く人たちは近い将来、何かしらの対応が必要になる。

 

 

 

そんな時に、どうすれば定住外国人と上手く付き合っていくことができるか、ということが、仕事を円滑に進めて行く上で切実な問題になってくる。

 

だから私たちは、そうした人たちに向かって、解決方法の助けとなる具体策としての「やさしい日本語」を提案している。しかし、大多数の人たちにとってはやはり無縁なことかも知れない。

 

それでも「草の根からの国際化」だと思うから、私はこの活動に必要性を感じている。上の方で掛け声をかけている「国際化」は、案外〝バケツの底〟が抜けていることも多い。

 

異文化の国からやって来て日本に定住するということ自体、随分とストレスの多いことだろう。私たちは、そういう人たちとどのように向き合えばいいのか。

 

日本という島国で、同質性の中でしか過ごして来なかった多くの人たちにしてみれば、国際化などは自分とは関係のないことだった。それが、そうとばかりも言っていられない状況になりつつある。

 

 

 

観光客として一過性でやって来る外国人ではなく、定住しているということは、日本で日常生活を送るということだから、それだけでも色々なストレスを抱えることになる。

 

そういう人たちと上手くコミュニケーションを取るためは、外国人が日本語を覚えればいいと簡単に思ってしまうけれど、日本語と言う言語は世界の言葉の中でも随分と難しい。

 

それからすれば、英語の日常会話なんて簡単な部類に入ると、私は勝手に思っている。日本語はとにかく語彙が多い。その分会話が豊かになるのだが。

 

さらに、オノマトペも多い。ヒラヒラとかキラキラなどと、当たり前のように修飾語として常用しているけれど、それは実感が伴わなければ何のことかわからない。

 

まさに「カラスなぜ鳴くの。カラスの勝手でしょ」という志村けんさんの名セリフを思い出す。それほど、私たちは無意識のうちに多くの(自分たちがわかる)言葉を使っている。

 

だから、これからも〝お節介〟を顧みずに、「やさしい日本語」を広めて行きたいと思っている。それが一つの具体的な「草の根からの国際化」だと思うから。

 

今日も午後から、そのために私たちが必要と考えている「カフェ」の開催について、ミーティングを行うことになっている。何とかいいアイデアにまとめ上げたい。