明日の夜は「中秋の名月」 | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

9月も最後の日。明日101日は「中秋の名月」ということらしい。天気予報では、幸いにも明日の午後からは晴れとなっている。

 

私がまだ本当に子どものころ、東向きの部屋に「三宝」に乗せた月見団子と、花器に立てたススキの穂を飾って、月の出を待っていたことをうっすらと覚えている。

 

 

 

ただし隣家の屋根があるので、お月さまがけっこう高く上ってから、やっと見ることができた。それでも、お月さまに手を合わせるようにと言われて、その通りにしていた。

 

それがどういうことなのかも知らなければ、そもそも「中秋の名月」の何たるかも、もちろん知らなかった。それでも、この日はそうする〝習わし〟だということだけは知った。

 

そんな行事をする家庭も今では少なくなっただろうし、こんなことをしようと思えば、幼い子どもから「中秋の名月って何?」と逆に聞かれそうにも思われる。

 

中国の習慣では、この日に月餅(げっぺい)を食べることになっている。また、「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」という戯れ歌も作られた。

 

まん丸いお月さまが中天に懸って、白銀色に輝いているのを見れば、それだけでもなんだか得をしたように思われる。それで良いのだと思う。

 

もう随分以前に中国の杭州にある西湖に行き、湖に浮かぶ小島「小瀛州」に行った時、「中秋の名月」を見るために作られた「三譚印月」という石塔が湖に立てられていた。

 

 

 

「中秋の名月」にこの石塔に灯を入れて、名月を鑑賞したということだった。中国の紙幣の裏面のデザインにも「三譚印月」が描かれ、西湖自体も近年に世界遺産になったという。

 

また京都では、嵯峨にある旧嵯峨御所・大覚寺では、大沢の池に船を浮かべて「観月の夕べ」が行われる。今年は、このコロナ禍で事前予約のみの人数限定となっているらしい。

 

 

(観月の夕べのご朱印/大覚寺ホームページより)

 

こちらも空に浮かぶ月と、池に映る月を同時に眺めようという、風流なイベントである。何とか実施出来るだけでも、まずは良かったと思っておこう。

 

そう言えばお手伝いをしている高校の「総合学習」で、一昨年度、あるグループが「広沢の池」をテーマに取り上げたことがあった。大覚寺とも近く、かなり広々とした池である。

 

 

 

この広沢の池も、名月の鑑賞場所として古くから有名だったところで、池のすぐ脇にはこの池の名月を詠んだ和歌を集めて掲示されていた。

 

 

 

その時に高校生たちがテーマとしたのは、「広沢の池をもっと知ってもらいたいけれど、あまり観光客が押し掛けて来るのも困る」という複雑なテーマだった。

 

ちょっと微笑ましいグループだったことを思い出した。さて明日の夜、煌々と輝くお月さまを見られることを楽しみにしておこう。