クオリアとヒューリスティクスとお試しと | がいちのぶろぐ

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昨日のブログで、茂木健一郎氏の著書を「クオリアと人工知能」と誤記してしまった。表紙の写真も載せながら(涙)。正しくは「クオリアと人工意識」(講談社現代新書)だった。

 

 

 

あらためて訂正しておきたい。それにしても、かなり難解な内容の書物になっている。クオリアという言葉をどのように理解するか、という出発点から悩ましいことになる。

 

それを理解するには、この茂木氏の著書をじっくりと腰を据えて読んでいただく以外に、私に伝える能力などはまったくないけれど。

 

とは言いつつも今日もまたこの「クオリアと人工意識」を、赤ボールペンを握りしめながら読み進めていた。同時に友野典男氏の「行動経済学」(光文社新書)も読んでいた。

 

ところで今日、茂木氏の著書で「私たちの認識のメカニズムは、感覚的クオリアによって外界の基本的な様子が表現されて、それに対して志向的クオリアでさまざまな『解釈』や『意味づけ』が行われていくというかたちで成立している」という文章と出会った。

 

一方で友野氏の著書では、「どこから手をつけていいかわからない問題を解くための鍵」となる方針が、「ヒューリスティクスと呼ばれる」と書かれていた。

 

「明確な手掛かりがない場合に用いる便宜的あるいは発見的な方法のこと」だと説明されていた。

 

例えば「二つの対象のうち一方は聞いたことがある(再認できる)が、他方は聞いたことがない時、再認した対象が基準に照らして高い値を持っている、という判断ができる」と述べておられた。

 

つまり私たちは、どこかで聞いたことがあるといった、自分にとって何か〝手掛かり〟のある対象の方を高く評価する、ということを言っている。

 

 

 

ただしこれも、「主体の側の限定合理性と問題の状況(環境、生態)の相互作用によって、ヒューリスティクスは上手く働く場合とそうでない場合」があるという。

 

「意思決定を支えているのは主体の認知能力ばかりでなく、問題がおかれている状況もまた同様に重要」だから、「環境に適合したヒューリスティクスは上手く機能する」ということである。

 

お二人の著書からこんな内容を読みこんでいたところ、今日配信のMAG2ビジネスに、「ネットショップの弱点を突け。リアル店舗が勝つための『五感』集客術」という記事が掲載されていた。

 

戦略コンサルタントの佐藤きよあき氏という方の書かれた記事だが、その中で佐藤氏は、「ネットではわからないこと、感じることができないものを前面に押し出す」という話を書かれていた。

 

「モノを売るには、『五感』に訴え」るという視点から、「視覚」「聴覚」「嗅覚」「触覚」「味覚」という、人間が持っている五感を「演出のテーマとして活用」することを考えよう、という説明だった。

 

リアルな店舗がネット通販と戦って行く上で、ネット側の弱点は「視覚と聴覚でしか訴求できない」ところにある。

 

だから、「“お試し”によって商品への理解を深めてもらい、購入に結びつける」という、「古典的な手法」だけど「現代の消費者に効果のある、販促策」だと述べておられた。

 

私たちが対象を〝認識〟する場合、茂木氏の著書にある「感覚的クオリアによって外界の基本的な様子が表現されて、それに対して志向的クオリアでさまざまな『解釈』や『意味づけ』が行われていく」ということと、どこかで通い合うものがあるのではないだろうか。

 

さらにそれは友野氏が著書で書かれている、「一方は聞いたことがある(再認できる)が、他方は聞いたことがない時、再認した対象が基準に照らして高い値を持っている」ということとつながるのではないか。

 

友野氏が言われるように、「主体の認知能力ばかりでなく、問題がおかれている状況もまた同様に重要」なのだとすれば、消費者が「お試し」を通して、自らが必要だと判断する方向へと誘導できないだろうか。

 

だから佐藤氏の記事では、「本当の良さを“お試し”で知ってもらうことが、間違いの無い、信頼感のあるお買い物に繋がる」と結論付けておられた。

 

何だか「牽強付会(けんきょうふかい)」で無理にこじつけるようなことを書いているけれど、きっと私たちの「認識」や「認知能力」というものは、“お試し”という行為を通ることによっても、何かが獲得されるのではないかという気がしている。

 

まだまだ浅い〝読み方〟に過ぎないけれど、本を通して得られる知識と、〝現地・現物・現人〟を通して感じ取れるものが、どこかで接点があるようにも思えたのだが。