京都グラフィエの写真展が我が家の近くで | がいちのぶろぐ

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4連休最終日。この3日間は、何だかんだと理由を着けて毎日出歩いていた私も、さすがに今日はおとなしくしている。とは言っても、少しだけは出歩いていたのだが。

 

午前中、近くのコンビニまで煙草を買いに出掛けたときに少し足を延ばし、鴨川デルタと呼ばれている鴨川と支流の高野川の合流点近くまで、「京都GRAPHIE2020」の写真展示を見に行った。

 

 

(今日も鴨川デルタは、連休を楽しむ人たちが)

 

この「京都GRAPHIE」は、毎年、趣向を凝らして市内の各所で写真展示が行われる。3年前には、昨日出掛けた「新風館」が建て替え工事のまっ最中で、その取り壊し中の建物の一角を会場に行われた写真展を見に行ったこともあった。

 

 

(3年前、取り壊し中の新風館での京都グラフィエ)

 

この連休初日から、鴨川デルタの西側の河川敷公園と、そのすぐ近くの小さなお宮の脇、さらに叡電出町柳駅前の小公園の計3カ所で、写真家でバー「八文字屋」オーナーの甲斐扶佐義さんの写真が展示されている。

 

 

 

甲斐さんは私より少し年下ではあるが、ほぼ同世代の人だ。かつて同志社大学に入学し、すぐに大学を辞めてしまい、その後は、今や伝説の存在となってしまったカフェ「ほんやら洞」を開設した人である。

 

その甲斐さんが写真を展示している鴨川デルタに面した河川敷公園は、1970年代に「黒テント」が小屋掛け公演を行ったこともあるという、〝由緒正しい〟場所でもある。その公演は私も見物に出掛けた。

 

 

(往年の鴨川デルタ/三角形に突き出てデルタと呼ばれる)

 

そんな甲斐さんが、1970年代後半から数年間の、鴨川デルタを中心としてその周辺で撮影した多数のモノクロ写真をパネル展示していた。

 

そこに映し出されているのは、若き日の私の周囲に生きていたであろう人たちの、ありのままの姿と言っても良いだろう。

 

 

私の子どもがそこに映っていたとしても、何の不思議も感じない写真である。現に我が家の斜め向かいにお住まいの方が、まだ赤ん坊だったお子さんを抱いている写真もあった。

 

 

 

けっこうな数の写真が展示されていて、中には懐かしい市電が走る写真や、立て看板の前に座り込む学生運動の活動家の写真など、私が通り抜けて来た時代を思い出させる写真もあった。

 

 

 

写真は、記録であると同時に記憶でもあると思う。そこに映し出されている光景は、撮影された〝その時代の断片〟であるけれど、それを見る側からすれば、その写真から想起される記憶が、写真とともに蘇ってくる。

 

あの時期にこんなことがあった、という自分史の投影がそこに見出されるのだ。だからこそ写真は、レンズの前にある「真」を「写す」と同時に、時代背景をも切り取って見せる。

 

街かど写真展でありながら、次々と通りかかる人たちもこの写真を見て、何かを指さして話し合ったりしていた。やはりそれぞれの人の中で呼び起こされた記憶が、人をして語らしめているのだと思う。

 

 

 

今日は「京都GRAPHIE」という、市内各地で行われている写真展の中の、ほんの1カ所だけに違いないけれど、ようやくこの写真展を見たことができた。

 

土曜日に偶然この写真展を見掛けた家人から、写真展のことを聞いていて、この数日間は行こうと思いながらも他の場所へ出掛けていたため、近くでありながらなかなか行けなかった。

 

今日はほんの短い時間だったけれど、この写真展をようやく見ることができて、ちょっとした満足感を感じている。