手書きや手作り感が生む「共感」を意識して | がいちのぶろぐ

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今日も午後は、お手伝いをしている高校の「総合学習」の授業があって、出掛けていた。

 

 

 

先週はこの「総合学習」へ出掛ける前に、偶然にも「頭を柔らかく」するというテーマで書かれた記事を読んでから、高校へ出掛けることになったとブログに書いた。

 

「頭を柔らかく」するためには、「定まった一方向からだけ物事を見る」のではなく、〝複数の視点〟から考える習慣を付けることが大事だ、という記事だった。

 

さらに言えば、自分とは対立する「相手側の立場」に立って物事を考えることが、〝頭の硬い人〟にならないための秘訣だとも記事に書かれていた。

 

だから、高校生たちがこうしたことを意識して考えられるように、私もサポートして行こうという気になった。

 

そうしたところ今日のダイヤモンド・オンライン誌では、また「澤円流『共感プレゼン』の極意は『手書き』スライドにあり」という対談記事が掲載されていた。

 

この対談で示されていたプレゼンテーションの〝スキル〟の話はともかくとして、そこで語られていたキーワードは「共感」と「寛容」だった。

 

プレゼンテーションだから他者に何かを伝える作業なのだが、そのための道具としてスライドや資料を作成する場合、〝美しく装う〟ことも大事かもしれない。

 

けれどこれからの時代は、資料と言えども聞き手に「共感」を持たれることがもっと重要だ、という趣旨の内容が書かれていた。

 

だからその手段として、美しい写真よりも〝手書き〟の絵や図で表現することで、〝温かさ〟を伝えられる方が良いと言った話だった。また現在は、それを受け入れられる「寛容さ」が求められている時期だからとも。

 

もちろん美しい写真や文字などで作成された資料であれば、それらを見た人にホォーと思わせることはできるだろう。

 

しかし丁寧な手書き(上手く描かれた絵という意味ではなく)で作られたスライドや資料には、ホォーを超えた〝ホッコリ〟感によって「共感」が生まれるというのだ。なるほどなぁ、と納得した。

 

上手い絵を描くのではなく、〝こんな感じなんですよ〟という図解や、〝いかにも〟といった顔キャラクターなどが描かれた、手作り感いっぱいの資料は、それはそれできっと楽しいだろう。

 

そこにはまた、資料の作り手の「想い」も詰まっている気がする。それが見る人の共感につながる。さらに、そんなホッコリ感を認めるという「寛容さ」を時代が求めている。

 

コロナ禍によってあらわになった〝〇〇警察〟などという、人々の〝ささくれ立った〟感情をやわらげることも、プレゼンテーションという場では大事なことかも知れない。

 

そんなことを、今日の記事から感じ取ることができた。この記事のサブ・タイトルも、「澤円氏に聞いたコロナ時代の話し方の極意」となっていたくらいだから。

 

つまりプレゼンテーションの場で、話し手が聞き手に向かって伝えようとする時に、現在の状況では〝ぐいぐい〟というよりも少し〝ゆるい感覚〟が良い、ということのようだ。

 

このことも頭に入れて、今日の「総合学習」に臨もうと思った。今日の授業では、生徒たちが先週決まったグループに分かれて、現時点で自分たちが考えるゴールの姿を、ザックリと考えていた。

 

 

 

これから人に会って話を聞いたり、現地を視察したりして、現状での課題発見を行って行くことになる。さっそく、来週は現地視察に出向きたいというグループも現れてきた。

 

何よりも現実を知らなければ、その先に進むことはできない。さらに言えば、高校生が頭の中だけで考えていることは、すでに大人の世界では現実化していることかも知れない。

 

だからこそ現地視察したり話を聞いたりして、現状をしっかりと捉えることが必要になる。その上で、自分たちが思い描く理想像へ向かって、解決すべき課題を見出すことができる。

 

コロナ禍の休校のために始動が遅れていたこの「総合学習」も、これでいよいよ本格的なスタートを切ることになった。

 

ただ少し心配なのは、「和服(着物や浴衣)」をテーマ領域にしたグループが、相変わらず〝着物を着ることを楽しもう〟的なテーマにしようとしていることだ。

 

 

 

このままでは、テーマから〝主語〟がスッポリ抜け落ちている。これが一番まずい。〝誰が〟楽しむのかを明確にしておかないと、後になってグズグズになってしまう恐れがある。

 

今日は、まだそこまでの指摘はしなかった。これからディスカッションを重ねれば、そこらあたりがどのように展開するかわからないと思ったから。

 

また、伝統工芸をテーマ領域としているグループには、〝生活の場〟という考え方を強調しておいた。そこを外してまま伝統工芸をテーマとすれば、広がりがあり過ぎる。

 

 

 

〝生活の場〟という考え方から離れないことで、範囲の広がりを抑えておかないと、伝統工芸という大きなテーマを相手にしてしまえば、入口でウロウロすることになりかねないから。

 

さて今年度、生徒たちはどんな議論を見せてくれるだろうか。この授業を横から見ていると、半年ほどの間に高校生たちが急速に変化して行く様子が手に取るようにわかる。

 

それが楽しみで、私もお手伝いをしているようなものだが。