今日配信されていたインターネット情報誌「TRIP EDITOR」に、「暮らしをちょっと上質に。京都の職人技が息づくモダン雑貨」という記事が掲載されていた。
記事では、「脈々と受け継がれてきた職人技が生み出す伝統工芸品は、ほかにはない輝きを放つ憧れの品」だけど、「いざ手に入れるとなると、ちょっとハードルが高いもの」だと紹介されていた。
伝統工芸の世界から生み出されるものは、漆塗りのお椀といった生活雑器類でも軽く数万円はするものも珍しくなく、確かにハードルの高い製品も多くあると言える。
だが記事では、「伝統の技を生かしつつ、日常にすっと馴染むスタイリッシュなアイテム」で、「職人の手で丁寧に作られた小物たちが、暮らしをちょっぴり豊かにしてくれる」と書かれていた。
私自身はブランド品といったものにあまり興味がない性格で、身の回りの小物類を見渡しても、高価な品などまったく存在しない。
まして、我が家には伝統工芸品などほとんど存在していない。まったくないとは言わないが、あるのは貰いものだったり、親譲りの古いものだったりといった程度である。
それでも今日の記事で紹介されている、「スタイリッシュなアイテム」といった小物類の中には、おそらく数千円~1万円程度の価格で手に入るものもあると思う。
京都市内の伝統工芸品を置いている店の中には、そうした価格帯の小物類を並べている店も決して少なくない。だから、それほど無理をしなくても手に入れられるものもある。
ただ小物類とひと口に言っても、身に着けたりバッグやポケットに入れたりするものから、食卓に並ぶお椀や小皿などに至るまで、これもまた範囲が広すぎるくらいである。
さらに伝統工芸品といっても、土を使う焼物、繊維類でできたもの、木や竹を使うもの、金属を用いるもの、さらに〝漆塗り〟といった二次的な加工を施したものと、素材から製品まで幅が広い。
これらを総称して伝統工芸品と言っているのだから、生活のあらゆる場面で使っているモノすべてに、大量生産の製品と並んで伝統工芸品も存在していると言っても良いくらいだ。
そんな中で、「暮らしをちょっぴり豊かにしてくれる」という感じで、よく言われる〝自分へのごほうび〟といった感じで、少しだけ高いモノを買うことだって有り得るだろう。
それこそ、職人さんたちが丹精込めた手作りの品というだけでも、ちょっとした贅沢感が感じられて、それはそれでこれらを持つことに満足を覚える人も多いだろう。
そう言えば、昨日の高校の「総合学習」で出て来たテーマの一つに「伝統工芸」があった。高校生たちも、伝統工芸が持っている価値をそれなりに理解している。
ただ、京都の地場産業でもある伝統工芸の世界も、この間は品物が売れなくなって苦しんでいることも事実である。用途にもよるだろうけれど、やはり生活に使う品物にはそれ相応の価格帯もあるから。
記事にあったような身の回りの小物類ならまだしも、かつては決して特殊なものではなかった襖(ふすま)や掛軸(かけじく)なども、住居や生活の西洋化によって需要が極端に落ち込んでいる。
まあこれを言い出せば、〝時代の移り変わり〟という話になってしまうけれど。
だからちょっとした小物類が、現代に即応したデザインで、さらに手に入れることができる価格帯で売られていれば、それを欲しいと思う人も少なからずいるだろう。
こうした記事が入口になって、実際手に取って見ようという人が増えてくれば、伝統工芸の業界も少しは賑わってくると思う。それに必要なことは、やはり時代に即応したデザイン性だと思う。
だから職人さんの中には、海外のデザイナーとコラボして品物を作り、ミラノ・サローネなどの海外の展示会で好評を博している人だっていないわけではない。
また現在は、ネット通販で海外からでも直接に購入できる時代だから、通販で成功して海外で評価されている、という職人さんもいる。
そういう意味では、こんな時代だからこそ日本だけをマーケットと考える必要もないだろうし、海外で受け入れられるものを作る、という発想だって有り得るということだ。
高校生たちの「総合学習」でも、それこそ柔らかい頭で京都の伝統工芸の世界を眺めてみてほしいと思う。高校生だからこそ考え付いた、という仕上がりを期待したいと思う。