浜松市では2日続きで40℃を越え、とうとう史上最高タイとなる41.1℃になったそうだ。京都市も予報では39℃となっており、スマホの気温情報もずっと38℃を示している。
もう〝危険な暑さ〟だそうだ。〝危険な暑さってどうよ〟と思うが、まあ〝人に危害を加える暑さ〟なのだろう。〝おぉ怖い〟と思いつつ、しっかりと飲み物をとっておこう。
そう言えばインターネット情報誌で、熱中症予防に〝効果的〟な飲み物と、どちらかと言えば〝不適〟な飲み物が掲載されているのを見た。
早い話が〝利尿効果〟があるカフェイン系のコーヒーやお茶などは、せっかく水分をとっても、それからトイレに行って飲んだ以上に排泄するから、結果としてマイナスだそうだ。
またアルコール類のビールなども、その時は「ア~ッ、美味い」となるけれど、やはり利尿効果があるから同様にダメとなっていた。まあ、そうでしょうねぇ。
だから、ノン・カフェインの麦茶や水が良いのだそうだ。また汗とともに塩分が出てしまうから、塩分とミネラルが補給できる麦茶が飲み物として最も推奨されていた。
昔は夏に大汗をかけば、ヤカンに入れて〝井戸水〟で冷やされた麦茶に、塩一つまみを加えたものを飲んでいたことを覚えている。
その頃は〝ポカリ飲まなきゃ〟ではなくて、生活の知恵として先人が教えてくれていた。そう言えば、生まれて初めてスポーツ飲料を飲んだ時は、塩水と砂糖水を混ぜたものという印象だった。
というような話はさて置いて、ある文章を読んですごく刺激され触発を受けていた。全体はかなり長い文章だけど、そこに散りばめられていた断片的な言葉に惹きつけられた。
まず「創発性は環境との相互作用で起きていくもの」であり、「私たちの創造活動は、自然界に“ある”ものを発見していることなのかもしれない」という言葉だった。
次に「創造とは、フレームの外側を思考するものである」という言葉。私たちが何かを考えようとするときには、そこにまず何らかの〝フレーム=枠組み〟を作り上げてから考え始める。
しかし〝創造〟や〝創発〟とは、この〝フレーム〟の外側、すなわち環境との関係性を考えることで、すでに「自然界に“ある”もの」として存在しているかも知れない何かを発見することにつながる、ということだろう。
また別の部分には、「“〇〇のない未来を考える”ことが、逆説的に、〇〇の将来のあり方を想定する上で有効に機能する」という文章があった。
見方を変えれば、「“ない過去”と“ある未来”を比べることで、その差分から“今”の輪郭を掴めるのではないか」とも書かれていた。
実に示唆に富んだ内容の文章だった。といっても全文を読まない限り、どこがどう示唆に富んでいるかもわかり辛いと思う。私一人だけが納得している状態になっている。
ただ何かを考える場合に、私たちはつい〝フレーム=枠組み〟有りき、と思ってしまう。それを思い切って取っ払い、枠組みを疑ってみたり、枠組みの外側から見直してみたりする柔軟性が必要だろう。
そうすると、まったく新しい〝何か〟とは、実はすでに自然界のどこかにあることのアナロジー(比喩)として理解できることかもしれない、ということだろう。
そして、その新しい〝何か〟が〝ないままの未来社会〟を考えれば、その〝何か〟がもたらすことの意味を考えることになる、ということだと思う。
このように雲をつかむ様な話でも、その意味するところを掘り返し、自分のまわりの〝何事か〟に置き換えて考えれば、そこに新たな発見が待っているかもしれない。
こんな駄文を書いていると、暑くて頭がおかしくなったのかと思われるかもしれない。けれど今日読んだ文章の中味は、もっとじっくりと考えてみたいと思わされる内容だった。