白地図を自分の地図に作り上げる作業 | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

昨日、中途半端に書いてしまった文章の続きをさらに考えていた。「創発性は環境との相互作用で起きていくもの」というテーマについてである。

 

昨日、話題の基とした文章にはこんな言葉も書かれていた。モノやコトは「単体で存在しているのではなく、“意味のネットワーク”の中に存在している」と。たしかにそう思う。

 

あるモノやコトを形作っている〝論理〟だけでなく、そのモノやコトを取り巻いている様々な〝意味〟のネットワークの中に置かれたとき、そのモノやコトが浮かび上がってくる。

 

この考え方に従って、この間私が関わっている「半径3kmの旅」というコトを、あらためて考え直していた。

 

 

 

「半径3kmの旅」を〝論理〟だけで考えるなら、「安・近・短の観光」と安易に規定してしまいそうになる。これはこれで間違っているわけではないが、さらに掘り下げて考えてみたいと思ったから。

 

そこで、「半径3kmの旅」という考え方を規定してしまいがちな〝フレーム=枠組み〟からできるだけ離れて、そのコトを取り巻いている〝意味〟を考えてみた。

 

「旅」という以上、そこには何かしらの「非日常性」が存在している。「半径3km」と名乗る以上、論理としての「安・近・短」はあるけれど、その「安・近・短」の外側とは何だろう。

 

3km」である以上、「歩く」や「自転車を使う」という現象が思い浮かぶ。ならばまず「歩きやすさ」や、「自転車に安全に乗れる場所」という〝意味〟がくっついていると思う。

 

旅の「非日常性」を考えれば、今まで知らなかった何かと出会う、という〝意味〟もあるだろう。新しい人と知り合う、とか、新しい店を知る、といった今までにない出会いだ。

 

例えば3km圏を歩き回るとする。そこに、この「旅」だけが持っている、今までなかった新たな出会いがあるとしたら、その出会いが体験する側にとっての〝意味〟となって跳ね返って来るだろう。

 

そこに行き、見聞きし、出会った一つひとつのことが、それぞれ「半径3kmの旅」を取り巻いている〝意味〟であるはずだ。その〝意味の集合〟の中にこそ、この「旅」が存在している。

 

有名な観光スポットがあり、そこへ行くことが目的化する、ということではない「旅」のあり方だ。逆説的になるけれど、自分でそこにある〝意味〟を拾い出してゆくことが、この旅の〝目的〟となるはずだ。

 

そうすると、自分が「旅」をしながら、自分で自分の旅をデザインしつつ、さらに自分の旅の〝目的〟を自分自身で「実体化」して行く作業を行っていることになる。これで初めて、「半径3kmの旅」は完成される。

 

「半径3kmの旅」は「思い立ったとき」に、「思い立った場所」へ行き、その場所の「白地図」に自分が自分の記号を書き加え、白地図を「自分の地図」に作り上げる作業だ。

 

これこそが、「半径3kmの旅」が持っている楽しみだろう。誰と出会い、何を食べ、どんな場所を見て、何を感じたかを書き込んだ「自分だけの地図」だ。

 

その地図は、その場所が持つ〝意味〟の集合体だろうと思う。「町歩き」というコンセプトを乗り越えて、そこに自分が書き込んだ〝意味〟にこそ、自分における〝その場所〟が存在している。

 

そんな「旅」を提案して行けたら、名所を巡る旅でもなければ、何かを体験する旅でもない、〝自分らしい旅〟を求める人に、新たな旅のあり方を訴えることができるだろう。