あと数日で「五山の送り火」の日となるが | がいちのぶろぐ

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この間のコロナ騒動の第2波が、これほどひどい状態になっていなければ、今ごろは千葉都民の娘家族が我が家から帰って行った直後となる時間帯だ。

 

豆台風くんがワーッとばかりにやって来て、家の中をドタバタと足音を立てて駆け抜け、〝ジィジー、遊ぼうよ~〟という声が響く。そんな2日間が過ぎ、家人ともどもグッタリとしている時間のはずだった。

 

 

 

それがこのコロナ禍で消えてしまったために、何とも腑の抜けたような、締まらない状態で日を過ごしているわけだ。

 

だから、お盆の墓参りに行くことも、〝暑いからいやだねぇ〟というくらいの気分である。まったく、ご先祖様が墓の中から眉を逆立てて怒鳴って来そうな状況になっている。

 

その我が家のお墓は、石川五右衛門で有名(若い人にとってはむしろ無名人?)な、知恩院の山門から本堂に上がって、さらにその先の山の中腹といった場所にある。

 

 

 

NHKの〝行く年来る年〟の中継で、お坊さんが数人がかりで除夜の鐘を撞く様子が流される知恩院の「大鐘楼」の脇にある。毎年お盆の墓参りでは、ここまで上がるのにたいへんな汗をかく。

 

 

 

ところが豆台風くんたちが来ないとなって、何だか全体的に空気が抜けたような気分だから、墓参りに行こうという気力すら湧いてこないという、困った状況になっている。

 

そうは言っても、行かないで済ますというわけにもいかないから、明日あたりは気力を振り絞り、大汗をかきながら山の上を目指して登ろうかと思っている。

 

 

 

16日の日曜日は、お精霊送りの「五山の送り火(大文字)」だが、今年はコロナ禍でこれも「大」の字の〝交点〟と〝端末〟の5カ所だけに、スポット点火することになっている。

 

 

 

それが数日前の深夜に、誰かが「大」の字になるように数多くのライトで点灯したらしい。だから数十分間にわたって、市内からもこの様子が見られたという報道があった。

 

大文字保存会の方々は、先祖の霊をお送りする厳粛な宗教行事が傷つけられたと、かんかんに怒っておられる。だから、大文字山への夜間立ち入りが禁止になっている。

 

恐らくは学生のイタズラだろうと思う。しかも「大文字」になるようにライトを点灯しようとすれば、そこそこの人数を必要とする。けっこう作戦を練って実施したのだろう。

 

昔、「大」の字の右肩の部分でライトを点灯して、「犬」文字にしようとするなど、学生たちは頑張ってきた。学生の多い京都の町だから、こうしたことも笑い話で済まされてきた。

 

それよりも、大文字保存会の人たちに思い起こしてもらいたいのは、9年前の東日本大震災の折りに、東北地方から津波で倒れた松の木を運び込んで、是非「大文字」の灯火にしてほしいという話があった時のことだ。

 

 

 

その時、放射性物質が付着しているかも知れないと、これをいったんは断ろうとしたことがあった。数多くの方が犠牲になられた、新盆の精霊送りの「大文字の送り火」である。

 

その御霊の代わりとして贈られた被災地の松である。もろ手を挙げて賛成するべきことだったのに、これをあろうことか断ろうとしたのはいったいどんな意思表示だったのか。

 

今、思い返しても何という不見識かと思ってしまう。その時も、高が少量の放射性物質があったとしても、それがどうしたというのかと思った。

 

その松の木の焚き木を、大文字山の上まで運んだ人間が高度に被ばくするとでも言うのかと、強い怒りを覚えたことを、私は今になっても忘れられない。

 

そんなこともあったけれど、もう多くの人は忘れてしまっているだろう。そして今年は、コロナ禍で十分な点火ができないことになった。これは、町中が見物客で混雑するからという理由だ。

 

 

 

それでも、精霊送りの宗教行事だから、火床の数こそ減らすけれど点火はするという。こちらは英断だと思う。

 

その時は是非、5カ所だけに点火される「大文字」を見て、その姿を記憶に留めておきたい。こんなコロナ騒動があったことを忘れないために。