政府が推進する「Go Toキャンペーン」の開始を前に、青森県むつ市の宮下市長が「脆弱な医療態勢で地域を守る立場」なので、「推進すれば、確実に(感染者が)発生する。経済を回す方法は地域の中で知恵を出すべき」だと訴えた。
だから、「(国には)移動制限をかけてほしい」という主張だと新聞が伝えている。このむつ市は「恐山」の霊場で有名な、下北半島にある小さな市である。
そこに観光客が来て、もし感染のクラスターでも出たなら、それこそ大騒動になってしまうだろう。だから小さな市の首長の考え方として、的を射たよくわかる意見だと思う。
一方で京都市の門川市長は、「Go Toキャンペーン」の早期の実施を国に陳情したということだ。観光が主要産業の一つという、京都市の置かれた立場からすれば、これもわからなくはない。
だが現在京都では、「祇園祭」や「五山の送り火(大文字)」など夏のイベントは軒並み中止になっているし、10月に行われる「時代祭」も早々と中止が発表された。
宿泊施設などの苦境は理解できるけれど、大きなお祭りやイベントを全て中止にしておいて、あえて〝観光に来て下さい〟と呼びかけるのは、明らかに矛盾ではないだろうか。
ならば、少なくとも秋の祭りやイベントの中止を再考するだけの勇気があるのかと、門川市長に問いたい。その勇気もないのに、市内の観光関連産業向けのポーズとして国に陳情するのなら、それは単なるお笑いに過ぎない。
そんな腰の据わらない陳情などは不要だ。宮下・むつ市長のように、「経済を回す方法は地域の中で知恵を出すべき」という考え方が、京都市の門川市長にはなぜできないのだろう。
「地域の中で知恵を出す」ために奮闘するから、せめて秋まで「Go Toキャンペーン」の開始を控えて、様子を見てほしいという陳情こそが、京都市の現状を踏まえた正しい考え方だと思う。
観光関連産業をサポートする資金が京都市にはないので、事業者は自助努力で生き抜いてほしい。そのかわり市も国に陳情しているから、という〝内向き〟のポーズのためだとしたら、他の自治体からは非難を浴びるだけだろう。
今回の京都市の門川市長の態度は、何とも〝締まらない〟話だと思う。その一方で京都市は、市内在住者が市内の旅館などに泊まる場合には補助をしている。
京都府も7月末までの限定ながら、近畿圏の客が京都市を除く京都府の宿泊施設に泊まる場合は補助をしている。だから、決して何もしていないわけではない。
それでも、こうした支援政策を強く発信しているようには見えない。これらも、なんとなく恐るおそる手を差し出しているような雰囲気が感じられてならない。
こうした支援政策こそ、もっと大きくPRすべきことではないだろうか。「地域の経済は地域で頑張って盛り上げる」と、もっと声を大にして主張すればいい。
そうでないのなら、せめてキャンペーンを早期に開始してほしいなどと国に陳情し、多くの自治体の気持ちを逆なですることは止めた方がいい。
このところ、京都市内で宿泊施設を経営されている人たちと話をする機会があったけれど、国内客が主体の施設と、外国人観光客が主体だった施設では随分と違いを感じる。
(京都・島原の「湯の宿松栄」/国内客が中心だった)
これまでも国内客が主体だった旅館などは、細々ながらお客もあり、近畿圏などの近距離客が来ることに期待を寄せているようだった。
一方、外国人観光客向けのゲストハウスなどでは、現状で営業を休止しているところもあれば、オープンはしているものの利用客はゼロに近い状態のところも少なくない。
そうした施設の中には、国内客に目を向けようという考え方も出て来ているけれど、1棟貸しスタイルの京町家の施設などでは、少人数で旅行する国内客では、かえって宿泊費が高くなるから敬遠されることもある。
外国人観光客が小グループで旅行する場合なら、京町家に宿泊するのは〝異国情緒〟が味わえるから多少高くなっても喜ばれるが、国内客の場合にはそういうわけにはいかない。
だから現状では、「Go Toキャンペーン」でも外国人向けのゲストハウスなどには恩恵が行き渡らない。その上京都市では、ゲストハウスなどへの規制が厳しくなる一方である。
だから、門川市長の今回の国への陳情というのは、国内客が主体の旅館・ホテルという既存の宿泊業界と、観光スポットにある土産物店や飲食店、さらには観光客が多い寺社などに向けたアピールということだろう。
(外国人観光客で混雑していた京都・嵐山)
それにしても、街にあふれていた外国人観光客が蒸発してしまった京都で、かつての「そうだ。京都、行こう」というような、国内客向けのキャンペーンができる状況でもないのに、いったいなぜこんな陳情をしたのだろう。
なんだか、むつ市の宮下市長という方の当たり前の感覚が、とても素晴らしいことのように思えるのも、情けない話かもしれない。