京都という町の面白さと厄介さ | がいちのぶろぐ

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〝梅雨寒〟になっている。雨空でお昼になっても気温はやっと20℃を越えたくらい。肌寒いというより、もう少し寒い。半袖だとやや寒くて、長袖を着込みたいと思うほどだ。

 

梅雨も後半になって、あと10日ほどで梅雨明けになろうかという時期である。しかし、今夜はまた九州北部で豪雨の心配があるという予報が出ている。

 

コロナ禍も収まる気配を見せない。世界で感染者数が減る気配を見せず、医療関係者の苦闘でどうにか持ちこたえているという、もはや人智を超えた現象になってしまった、ということだろうか。

 

この状況がこれからの〝常態〟になるのだとすれば、経済の縮小から社会構造の脱グローバル化まで、世界中のありとあらゆることが一気に変わって行く可能性がある。

 

さて今日は月曜日。とは言っても、私には勤めもなければ出かける予定も特にないから、昨日と何が変わるわけでもない。今日もまた、自分の部屋の机の前に座っているだけだ。

 

午前中は、読みかけになっていた「国宝消滅」(デービッド・アトキンソン、東洋経済新報社)の続きを読んでいた。昨日は、京都文化観光検定(京都検定)の公式テキストブックの、建築と庭園の部分を読み返していた。

 

 

 

お手伝いをしている高校の「総合学習」は、今週が1学期の最終回なので、2学期に向けて考えるためのキーワードとなりそうな事項を、自分なりに再確認するためである。

 

 

 

自分が住んでいる京都だけど、あまりにも知らないことが多いと痛感しているが、高校生たちの街に対する感覚はもっと狭い範囲に限られる。だから、何かを考えるには手助けが必要となる。

 

それで、こちらも忘れそうなことは補充しておかないといけない。例えば先週たまたま通りかかった「今出川大宮」という場所は、かつて「千両が辻」と呼ばれていたことをブログに書いた。

 

 

 

実はこの「今出川大宮」の周辺は、京都市が「かいわい景観整備地区」に指定しており、町並みの景観保存に努めている。

 

ここにある京町家の1軒で、登録有形文化財になっている「富田屋」という商家も、現在は「西陣 暮らしの美術館」と名乗り、老舗の呉服問屋だけど、茶道や着付けの体験なども行っている。

 

 

 

 

ホームページにも、「冨田屋が(中略)現商家を建てたのは明治十八年」のことで、「明治期の典型的な大店の町家として国の登録有形文化財の指定」を受けたと書かれている。

 

さらに「代々受け継いだこの家を京都の歴史や文化を伝える建物として保存するとともに公開」して、「“暮らしのありよう”をも知って頂くことで本物の京都を伝えることが出来る」と考えているそうだ。

 

 

(富田屋間取り図/富田屋ホームページより)

 

このように京都という場所は、町の中に突然〝歴史と文化〟が舞い下りて来るという面白さがある。だから、私も〝高校生のお手伝い〟などと、澄まし顔ではいられない。

 

この「富田屋」の建物の少し北にある、「町家写真館」の水野克比古氏は、長く京都を題材として写真を撮り続けて来られた有名な方である。

 

 

 

昨年度、「総合学習」の際に「京町家」をテーマとしていたグループは、この「町家写真館」を訪問して、運営に当たっておられる息子さんの水野秀比古氏からお話をうかがってきた。

 

だからこそ私も、知っているつもりのことでも忘れないように再確認しておかないと、高校生にきちんとアドバイスができないことになる。

 

今夜は、同志社大学院の「ソーシャルイノベーション研究プロジェクト」の、私が参加しているグループが、オンラインで臨時のディスカッションを行うことになった。

 

こちらも、歴史的な街である「旧・島原遊郭」周辺の活性化の支援ということで、私は今まであまり知らなかった「島原」のことを、この1カ月であれこれ調べることになった。

 

 

 

このように、知れば知るほど京都という町の面白さと同時に、それぞれの地域が歴史という重石の下で抱える〝厄介さ〟も見えてくるような気がする。