昨日もブログに、京都・島原地区の活性化策を考えていることを書いた。今日もまだ引き続きそのことを考えるのに没頭していた。
根本的な問題点はいくつか考えられる。まずは「島原という町があることを知らない」ということ。次に「知っていても興味がない」ということである。
(島原「角屋もてなしの文化美術館」の建物)
つまり京都に「島原」という、昔は遊郭・花街として少しは知られた町があったこと自体が知られていない。次に、仮に知っていても、現在は特に行く理由がある町だとは思わない、ということだ。
人が集まり賑わいを作りだすということは、このウィズ・コロナの状況下では特に難しいテーマになっている。その上、「知られていない」か「行く理由がない」と思われては、人が来るはずもない。
だから、最低限の条件は「知ってもらう」ことであり、その次には「楽しそう」とか、「行ってみたい」と思ってもらえるようにすることである。
それには常に「誰にとって」のことなのか、というサブ・テーマが付いて回る。「誰にとっても」ということは、通常では有り得ない。そんな場所はどこにもないだろう。
「誰」にとって「行ってみたい」場所であり、それは「なぜ」行きたいと思うのか、をまず明確にすることが重要だ。
例えば京都でも有名スポットの「嵐山」を考えてみる。「桜と紅葉」が美しいスポットが数多くある。だから、その季節になれば「中高年の女性」を中心に、見物に行こうと思う人が多い。
(嵯峨「祇王寺」の紅葉)
また「竹林の小径」は、他にはあまり例を見ない光景と出会えるスポットである。だから、「外国人旅行客」などは季節を問わず訪れていた。
さらにこの「竹林の小径」を「ライトアップ」するイベントの「嵐山花灯路」は、とても幻想的だから外国人だけでなく多くの人に人気がある。
「誰にとって」「なぜ行きたい」のかということが、比較的はっきりとわかるケースだろう。だからこそ有名な観光スポットであり続けられる。もちろん、それでも現状は厳しいが。
一方「島原」である。歴史的にみて様々なことがこの場所でも起きたけれど、それは日本の歴史を動かすような、決定的な「インパクト」があるほどのことではなかった。
ところが、他と全く違っていることが「島原」にはある。それは現在もなお、「太夫」と呼ばれる女性が少数ながら存在していることである。
(吉野太夫忌で行われる太夫道中/鷹峯・常勝寺)
祇園や先斗町、上七軒など、京都の他の花街には「舞妓・芸妓」などが、少なくとも10人単位で存在している。「祇園」に行けば、運が良ければ彼女たちの姿を見ることができる。
また、京都で行われる様々なイベントで、舞妓や芸妓が舞う姿を見る機会は少なくない。常設的にこれを見せている施設もある。もちろんお客として、舞妓や芸妓と接する機会がある人も少なくない。
(「京の七夕」のイベントで舞う芸妓さん)
だが、島原の「太夫」の姿を見たり、芸を見たりする機会などは滅多にない。また「太夫道中」という、太夫が盛装をしてお伴を引き連れて練り歩く姿を見る機会は、ホントに限られている。
だから、もしこれが見られるのであれば、貴重な機会だから是非見たいと思う人もいるだろう。
その一方で、祇園や宮川町、上七軒などは、昔ながらの「町並み」そのものが守られている。だが「島原」は、いまでは普通の住宅街と外見上は変わらない。
(祇園の町並み)
町並みという点では、「島原」は祇園などに比べると見るべきほどのものはなく、ポツンポツンと由緒のありそうな建物が建っているに過ぎない。
(島原で唯一お茶屋を営業している「輪違屋」)
さて、ではいったい「誰」をターゲットとして、どんなことがあれば「島原」という町に「行ってみたい」と思わせられるのだろうか。
やはり「新たな価値」を生み出すことによって、「若い人たち」を惹きつけることが必要になるのだろうか。それとも「歴史」や「日本文化」に興味を持っている「中高年」の方に来てもらう町を考えるべきだろうか。
この方向性によって、考える視点は大きく変わる。「誰」がお客となり得るのか、なぜ「行きたい」と思ってもらえるのか。その点を明確にしないと、何も生まれてこないように思う。
ところで、現状ではお客が大幅に減少して苦境に立たされているけれど、「島原」という町には外国人観光客向けの「ゲストハウス」は多数存在している。
なぜゲストハウスが多くなったかを考えてみることも、案外とヒントになることが隠されているような気もしている。こんなことをずっと考えている。