「東京差別」などと言う嫌な言葉まで | がいちのぶろぐ

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静岡から関東にかけて、強い雨が続いているようだ。昨年、洪水の被害が出た地域にまた被害が出ませんように。

 

このところ、東京を中心としてジワリとコロナの再度の感染拡大が始まっている。〝夜の街〟関連以外の地域では、もうコロナは終わったような緩み方になっているかも知れない。

 

テレビニュースで、若い人のインタビューが流れるのを聞いていても、怖いとは思うけれどとりあえず仕事もあるから仕方がない、といったわかりやすい反応になっている。

 

先日のテレビの情報ワイド番組でも取り上げられていたが、こんな状態が続けば、実際問題として「東京差別」という事態が訪れかねない。

 

若年層を中心として、東京への人口一極集中が続いてきた。こんな状態を前提にすれば、規制が解除されれば若い人はやはり我慢できなくて、街へ繰り出してしまう。

 

その結果、そこからまた感染が拡大するという悪循環に陥りかねない。しかも、自分は仕事や学校のために東京で独り暮らし、という若い人も多い。

 

だから実感として、自分がもし感染して家に帰れば、今度は大事な家族に感染させるかも知れない、という意識も持ちにくいだろう。所詮は自分だけのことだと思ってしまう。

 

ところがそんな若い人が自分では無症状でも、今度は職場や通勤・通学途上で他人を巻き込むことになるかもしれない。だがそこまでは意識が至らない、ということだろう。

 

こうなれば、東京在住者は東京から出ないでほしい、という東京以外からの声が高まることになる。つまり「東京差別」という事態を招く。

 

数年前に流行した「地方消滅」というキーワードが、逆の形で思わぬところで〝牙〟をむき始めたような気がする。

 

 

 

地方は〝消滅〟だろうが何だろうが、とにかく自分たちの出来る範囲のことを自分たちでやって行くから、東京とは可能な限り疎遠でいたい、という反応である。

 

これも結果として、東京都の対応策が中途半端だったことが招いた結果ではないか、という気がする。

 

おりしも都知事選の真っ最中である。こんな状況を前にして、都民は新しい顔として誰を選択するのだろうか。誰になっても、状況は変えられそうにないとも言えそうだが。

 

そんな中、中国では香港支配を強める法律が決まった。香港の民主化運動家は、恐怖の真っ只中に放り込まれた。とうとう中国の中央政府が牙をむいたのだ。

 

これで一国二制度という、ある意味では無理な制度が破綻したということだ。その結果、香港は東アジアの金融センターという地位を手放さざるを得ないだろう。

 

中国にとっては大きな痛手だ。こんな多大な犠牲を払っても、中国中央が許すことができないほどに、昨年来の香港の民主化運動に追い詰められていたということも言える。

 

しかしこれで、中国の政権は自分たちの姿勢を明確にした。またロシアでは、プーチン大統領がさらに大統領を続けることが可能となる憲法改正案が、投票にかけられている。

 

これらの動きによって、1989年のベルリンの壁崩壊によって訪れた東西対立からの解放が、とうとう有名無実化してしまう。

 

今回のコロナ禍は、単にウィルス感染症のパンデミックというだけでなく、世界の大きな分断をもたらす契機となるかもしれない。そんな恐ろしさを感じてしまう。

 

「東京差別」などという〝小さな出来事〟に目が行っている間に、世界のパワーバランスがおかしくなり始めたという気がするから。

 

東京で暮らす若い人は、コロナは終わったなどという緩んだ気になっていれば、その次に控える〝とんでもない事態〟に慌てふためくことになるかもしれない。

 

少なくとも、今は辛抱してでもこの国のコロナ禍を鎮静化させておかないと、行く先は、世界で何が起こっても不思議ではない状態だと認識することが必要だと思う。