昨日は「島原」地区の町歩きに出掛けた。久しぶりにかなり長い距離を歩くことになったので、今日はその疲れが少し残っているみたいだ。
コロナ禍で外出しなかったせいか、4,5月で2キロほど太ってしまった。何とか1キロほどは戻したつもりだが、メタボになってしまった身体はちょっとやそっとでは痩せない。
それにしても昨日島原地区を歩いてみて、一番に感じたのはゲストハウス・簡易宿所の激増ぶりだった。
(京町家の長屋をリノベしたゲストハウス)
旧・島原遊郭と言える範囲は、南北250m、東西200mほどとそれほど広くはない。この狭い範囲だけでも、こうした宿泊施設が10軒以上はあるのではないだろうか。
それほどに京都市内では、こうした簡易宿所などの宿泊施設が増えている。それらのほとんどが外国人観光客を当て込んでいただけに、4,5月の稼働率は10%以下になっているらしい。
一昨日の毎日新聞の夕刊の一面には、こうした宿泊施設の苦境の様子が大きく取り上げられていたが、いかにもと思えるくらい外国人観光客の姿を見かけることがなくなった。
一昨日から昨日にかけて、自粛解除後初の週末として注目されていた。今朝のテレビの情報ワイドショーでも取り上げられていたが、それぞれの場所で人出は増えていたようだ。
私も町歩きが終わった帰り道のバスで、京都の中心地「四条河原町」を通ったのだが、バスの中から見ていても、四条通を歩いている人は明らかに増えた感じだった。
さてこれからは、この島原地区の活性化に向けて、どのようなことが可能かを考えなければいけない。ただし観光スポットとしてみれば、観光都市・京都の中では弱いと思う。
昔ながらの町並みが残されている「祇園」界隈と比較して、島原は売春防止法ができて、遊郭がなくなってからすでに60年が経過した。この間で、昔の町並みは消えてしまった。
(「祇園」の町並みと舞妓・芸妓さん)
そして、角屋に1人だけ「太夫」を受け継いでいる女性がいるけれど、この人自身が〝動く文化財〟であり、祇園の舞妓・芸妓さんのように町中で見かけるということはない。
また有名な料理店としては、昨日も通った「魚河岸 宮武」があるが、その1軒くらいである。感じの良いカフェは、昨日も何軒か目に止まった。
(「魚河岸 宮武」の外観)
近清(きんせ)旅館の建物は大正モダンの良い雰囲気を残していたし、その中にあるカフェもレトロ感に溢れたオシャレな場所だった。
しかし、それ以外に何かあるのかと言われれば、はっきり言って〝無い〟としか言えない。○○跡という形で案内の表示はあるけれど、これらは歴史マニア以外は楽しめない。
島原遊郭の範囲の外をみれば、400m東に行けば西本願寺の裏側に出会う。西本願寺は立派な観光スポットだが、正面に回るには、さらに500mほど周囲を回って行く必要がある。
(西本願寺)
また西本願寺の南隣にある龍谷大学大宮学舎の建物も美しいし、重要文化財に指定されているけれど、中に入ってどうこうできるという場所ではない。あくまで大学の校舎なのだ。
島原遊郭と七条通りを隔てた南側にある、広い「梅小路公園」はよく大規模なイベントも行われる。そして公園内には、人気スポットの「京都水族館」がある。
また梅小路公園の西端には「京都鉄道博物館」もある。ここでは蒸気機関車(SL)の動態保存が行われている。〝鉄道ファン〟にはたまらない場所だ。家族連れにも楽しめる。
島原遊郭の北側と西側の一帯には、京都中央卸売市場がある。この市場では、月に1回「市民感謝デー・食彩市」が開催されているし、市場の周辺には美味しくてコスパが良い店もある。
だからこうした場所まで範囲を広げると、まさに「半径3kmの旅」は構成できる。では、島原地区がその中でどういう位置付けになるのだろうか。
むしろ、〝無くても〟考えることができてしまうのではないか。だから、そこに島原をどのように組み込むことができるか、ということになる。
もう一つの視点は、地元の京都市民に「島原」をもっと知ってもらう、という発想である。この場合、京都市民が本当に「島原」に興味を持ってくれるか、ということがポイントになる。
(「角屋」の建物)
ここで興味を引くために重要なのは、「島原の太夫道中」というイベントではないかと思う。これは「江戸・吉原の花魁(おいらん)道中」と並ぶ、遊郭の大イベントなのだが。
ちなみに、遊郭で最も格式の高い女性を、吉原では花魁、島原では太夫と呼ぶ。禿(かむろ)と男衆を従えて、置屋から揚屋に向かう姿がこの「道中」である。
これだけでは、イベントとしてはまだ弱いかもしれない。後は「角屋」という生きた美術館を見学するくらいのことになる。
さて、島原地区を活性化するためには、まず人を呼ぶこと、人が来て賑わうことが必要になる。そのために必要なモノ・コトを、これからの1カ月間で考え出さないといけない。