自粛解除後、初の週末を迎えたが | がいちのぶろぐ

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今日は、都道府県境を越えた移動が自粛解除となった最初の週末だったから、お昼のテレビ・ニュースでも、新幹線が結構混み合っているとか、観光地に人が戻り始めているといったニュースが目に着いた。

 

 

 

先月くらいには、清水寺の参道には人っ子一人いない状態だったが、今日のニュースの画面では、清水寺の辺りにもそこそこの人が出掛けているようだった。

 

 

 

まあ3カ月近くに及ぶ外出自粛ということだったから、どこでもいいから出掛けたくてウズウズしていた人もきっと少なくないのだろう。

 

だがこの気の緩みが、3週間後くらいに〝答え〟となって跳ね返ってくるかもしれない。

 

一挙に第2波の感染が全国的に広がって、またぞろ外出自粛にでもなれば、飲食店や商店などは今度こそ完全に目も当てられない状況になりかねない。やはりその点が心配される。

 

こちらは、今まで通り特に外出する当てもなければ、どこへ行きたいということもなく過ごしている身だから、あまり関係はないけれど。

 

それでも今日の午前中は、ご近所の酒類量販店の月に一度の特売デーだったから、自転車で買い出しに出掛けた。ところが、家を出てすぐマスクをせずに出たことに気づいた。

 

おっとっと、ということですぐに取って返して、マスクを着用して出直した。とまあ、それくらいには、こちらも気の緩みが出始めている。

 

昨日はお手伝いをしている高校の「総合学習」で出掛けていたけれど、高校の校舎には至る所に消毒用のアルコールが置かれている。着いた時にまず手を消毒して、来校者名簿に記入する。

 

 

 

授業の前後にも、使用している教室の前にあるアルコールで手を消毒するといった具合で、学校側も気を使って完全防護体制になっている。

 

生徒たちもディスカッション用に、4人ごとのグループで机を島状にするのだが、これもお互いが1.5m間隔になるように、机の位置に距離を取って島を作る。

 

昨日は、来週に延びた嵯峨・嵐山の現地見学のために、その下調べとして嵯峨・嵐山の特徴をグループごとに洗い出して整理し、お互いにディスカッションした内容を発表した。

 

 

 

今年の20人の生徒たちは、8割以上が過去に行ったことがあると先週の授業で回答していたけれど、嵯峨・嵐山の特徴を記入すると、どのグループもほぼ同じことしか書かれていない。

 

しかも、特徴というにはいささか心もとない中味が多かった。例えば、嵐山に渡月橋があることは当然知っているけれど、その下に大堰川が流れていて、舟遊びができることは思いつかない。

 

 

 

岩田山モンキーセンターのことは詳しく書いていても、世界文化遺産の天龍寺をはじめ有名なお寺が数多くあることは、一括りで〝寺が多い〟とだけ書いている、といった具合である。

 

お寺などに興味を持つ年代でもないだろうから、ある意味で素直な答えかも知れない。だが大覚寺は、嵯峨上皇がそこに住んで院政を敷いた場所である。だから嵯峨御所と呼ばれ、上皇の死後に大覚寺となった。

 

 

 

その頃から、嵯峨・嵐山が風光明媚な場所として多くの貴族に知られるようになり、別荘地になっていった。こうしたことを知っておくだけでも、日本史が実感として感じられると思う。

 

また天龍寺は、足利尊氏が南北朝の戦いの後で、後醍醐天皇の霊を弔うために創建したが、そのこと自体が、日本史におけるとても大きな出来事と関わっているお寺だ。

 

 

(天龍寺方丈/京都・嵐山)

 

だから嵯峨・嵐山という場所自体が、活きた歴史の教科書と言っても良いだろう。だけど昨日の下調べでも、歴史と絡めたポイントはほとんど見えて来ない。

 

やはり、現状における観光地という視点が中心になってしまう。中には、カフェがたくさんあると書いている女子生徒もいた。現代っ子だなあと、少し微笑ましく思えたが。

 

さて来週はグループ単位で嵯峨・嵐山を歩く。歩いてみて、あらためてどんな発見をしてくれるだろう。その感想を聞くのが、今から楽しみだ。