やさしい日本語という考え方 | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

知人の方がフェイスブックで、私もこの間熟読をしている「問いのデザイン」(安斎勇樹・塩瀬隆之、学芸出版社)が、手元に届いたことを報告しておられた。

 

けっして安価な本ではないけれど、とにかく内容が濃いというか、ずっしりと読み応えのある本だから決して高額だとは感じられない。

 

 

 

私も5日間かけて、ようやくページ数にして5割ほど進んだところだ。毎日、1章程度ずつキリの良いところまで、アンダーラインを引き、メモを取りながら読んでいる。

 

さらにアンダーラインの部分を再度読み直し、抜き書きしたメモと対比させて、内容を咀嚼(そしゃく)しようとしている。しかし、まだ完全には読みこなせていない部分もある。

 

こうした箇所は、付箋などを貼り付けてわかるようにしておいて、次の日にもう一度読み返す、といった作業も行っている。そこまでしないと中々理解しきれないから。

 

 

 

しかもこの本は、ワークショップのデザイン〝技法〟を述べた本である。だから頭で理解できたとしても、それをワークショップの場で、実践的に使いこなせなくては意味がない。

 

幸いにも、私が関わっている「定住外国人支援」のNPO団体では、この2年間にわたって、「やさしい日本語」で外国人とコミュニケーションをとるためのワークショップを行ってきた。

 

だからワークショップを行うに当たって、この「問いのデザイン」に書かれている内容を自分なりに噛みくだいて、実践することができるようになりたいと思っている。

 

 

 

そもそもの部分で、なぜ定住している外国人とコミュニケーションをとる必要があるのかという、自分に向かっての問い掛けもある。それほど外国人と出会うわけでもないから。

 

ただ私は「やさしい日本語」という考え方を、『日本語という、世界的にみても難しい言語を、ユニバーサル・デザイン化する作業』だと捉えている。

 

日本に暮らしている人の大多数は、日本語を用いてコミュニケーションを行っている。このことを誰も不思議には感じていない。しかし日本語という言語は、表現にしても、表記にしてもとても難しい言語だと思う。

 

一つの漢字に「読み方」が何通りもある。そもそも漢字自身をなかなか書けないし、読むのも困難な場合が多い。だから「漢字検定1級」と言われると、すごいと思ってしまう。

 

その上に漢字と言っても、どこから見てもそうは読めない「当て字」がやたらと多い。

 

例えばこの季節の花である「アジサイ」は、「紫陽花」と書かれることが多い。だが漢字はどう読んでも、「シヨウカ」か「ムラサキヒノハナ」ではあっても「アジサイ」ではない。

 

 

 

夏の花「ヒマワリ」も「向日葵」と書かれることが多い。花が太陽に向かって頭(こうべ)を巡らせるから、日に向かうアオイ科の植物、という意味の当て字だろう。

 

だけど漢字を読むとすれば「コウジツアオイ」か「ムカヒアオイ」ではあっても、決して「ヒマワリ」ではない。これを外国人がパッと読めるかと言えば、無理というしかない。

 

 

 

いや日本に生まれ育って、日本語を使って暮らしている小学生でも、こうした漢字をスラスラと読める子どもは少ないだろう。

 

つまり、こうした植物の名前だったらカタカナと英語名を合わせて書けば、わかってくれる外国人も少なくない。小学生だって、カタカナ表記に写真でも付いていればわかる。

 

このように、「高齢者から外国人、障がいのある人や子どもたちなど、日本で暮らしている誰にとってもわかりやすい表現方法を使ってみませんか」というのが、「やさしい日本語」の基本なのだ。

 

「〇〇川に洪水警報が発令されたから、緊急に避難所へ避難しなさい」と5歳の子どもに言ってみて、即座に適切な行動を起こす子どもがいたら、その方がむしろ気持ちが悪い。

 

「大雨が降って、〇〇川の水がもうすぐお家まで押し寄せて来るから、安全な場所へ一緒に逃げようね」と言えば、5歳児なら何となくわかってくれるだろう。これが「やさしい日本語」というものの考え方なのだ。

 

 

 

この考え方は、阪神・淡路大震災に際して外国人に情報が適切に伝わらなかったことへの反省を踏まえて、提唱されるようになった。

 

しかし普及という面では、まだまだ十分とは言えない。最近は行政の文章でも、難解な言葉から言い換えるように指示が出ている。それはそうだと思う。

 

これまでの役所用語は、「日本語から日本語」へ翻訳作業を行わないと、一般人には伝わらないほどわかりにくい言葉使いだった。「漢文かっ!」と突っ込みたくなるほど、漢字も多用されていた。

 

そのことを思えば、随分とわかりやすくなって来たとは思う。だけど、〝漢字好き〟はあまり変わらないし、〝間違いは許されない〟という意識から、まだ回りくどくなっている。

 

 

 

こうしたことから、「やさしい日本語」と親しんでもらうワークショップが必要になっている。だからこそ、「問いのデザイン」をしっかりと考えて、ワークショップを組み立てる必要がある。

 

「問いのデザイン」を読む作業も、およそ半分までたどり着いた。来週の半ばには、一度目を読み終わりたいと思う。〝葦編三絶〟とは言わないが、3回は通読したいと思う。