「静かなデモ」がもたらしたもの | がいちのぶろぐ

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検察庁法改正案が、次の国会まで継続審議となった。ただ〝民意が勝った〟というにはまだ早いだろう。だが今回は、インターネットという『静かなデモ』が意味を持ったことは間違いない。

 

 

 

昨日の夕方、総理は記者団にこう述べた。「国民の理解なくして前に進むことはできない。批判にしっかりと応えていくことが大切だ。これからも責任を果たしていきたい」と。

 

「国民の理解」がなければ政治は前に進まない。そのために、いつもあなたは〝丁寧に説明して行く〟と、一つ覚えのように繰り返してきた。そして、それはこれまで一度たりとも果たされることがなかった。

 

「批判にしっかりと応えて行く」と、あなたに言われなくても当然のことだ。これまで批判に対して、無意味な精神論を述べるだけで無視し続けてきたのはいったい誰だったのか。

 

そもそも15日の金曜日には、「政策の中身、ファクトではなく一時的にイメージが広がるが、時間がたてば『事実と違ったな』と理解頂ける」と強気な発言をしていた。

 

だが土・日曜に行われた世論調査で支持率が大きく急落したことを受けて、その発言の舌の根も乾かない間に、身内からの突き上げもあって急きょ継続審議にしたのではないのか。

 

これによって、黒川氏が今なお東京高検の検事長でおられることの根拠が揺らいだ。法解釈を勝手気ままに変えることで恣意的な人事を行った結果、それを追及された法務大臣は支離滅裂な答弁を繰り返した。

 

それというのも、森友学園問題であなたが「私や妻が関与していたのなら、総理をやめます。国会議員も辞めます」と、ヒステリックに答弁したことが全ての引き金になっていた。

 

そこから歯車がおかしな回転を始めた。真面目な財務省の職員の方は、文書改竄(かいざん)という、自らが行っている事実の重みに耐えきれなくなり命を断たれた。

 

それ以後、噴出したもろもろの疑惑についてのあなたの言動は、すべてがその場しのぎの辻褄合わせになって行ったのではなかったか。とにかく押し切ればいいと。

 

それが全ての場面で、〝記録はない〟、〝議事録はない〟といったむちゃくちゃな答弁につながって行った。役所の正規の作業の中で、記録や議事録がないことはあり得ない。

 

面会記録や打合せ議事録、会議録などを保全するという証拠主義が、公務の原則である。それを、〝ないない尽くし〟で強弁を続けてきた。こんな政府では、正常な公務を行っているとは到底言えない。

 

その上、インターネット番組での桜井よしこ氏との対談で、検察庁法改正案は「法務省が提案した」と説明した。つまり法務省の意向としてこういう法案が出てきたから、内閣が国会に提案しただけ、と言い訳をしたかったのだろう。

 

もし100%そうであったとしても、その中味を吟味し、それが提案するにふさわしい内容かどうかを審議するのは内閣である。それを統括しているのは総理自身なのだ。

 

つまり、国会に提案するに足る内容だと考えたのだから、法務省が言って来ようと、責任は総理にある。何でも〝人のせい〟にしてはいけないと、子どものころに先生に教えられなかったのか。

 

50年余り前、私の中学校の校長が何かの折りに言われた言葉を、今もはっきりと覚えている。『欲求耐性』という言葉である。

 

この世の中は、何事も全てが自分の思い通りになどなるはずはない。それをじっと耐える気持ち、今風に言うなら〝レジリエンス〟と言えばいいだろうか、それが大事だと戒めておられた。

 

あなたはこの国の最高権力者として、自分の思い通りにならなければ、ヒステリックに叫ぶか、〝しら〟を切り通すか、〝他人のせい〟にして終わらせてきたのではないか。

 

そんなあなたを、長年にわたって最高権力者としての地位に留まらせていたのは、そうさせた私たちが悪いのだ。責任の一端が私たちにあることは、十分に承知している。

 

それでも今回はさすがに、国会議事堂を取り巻く無数の人々の〝デモ行進〟が起こった。

 

思い返せば1960615日には、あなたのお爺さまが総理を務めておられた。その日国会の周りは、日米安保条約の〝強行採決〟に抗議する人の波に埋め尽くされていた。

 

 

 

それは、日米安保条約そのものへの反対もあっただろうが、それ以上に、まず何よりも国会軽視、国民無視の強行採決という政治手法への怒りの表れだった。

 

この国民の怒りの声を抑えこむべく、警察とともに民間人までも、警備と称して駆り出され、その激突の中で樺美智子さんが不幸にも命を落とされた。

 

そしてお爺さまは責任を取って、総理の職を辞されることとなった。

 

それからちょうど60年。奇しくもあなたは、この時代にふさわしいインターネットによる国民の〝デモ〟の前に、継続審議という形で少しの冷却期間を置こうと決められた。

 

だがこれは、秋になれば国会に再度持ち出すことを意味している。そのことの是非を巡って検察OBの方々が投げかけられた意見書には、「絶対王政におけるルイ14世のごとき」とまで書かれていた。

 

国の最高権力者から市井の一個人まで、すべての人を逮捕し、取り調べ、起訴できるという強い権限をもっているからこそ、検察には公正中立が強く求められている。これも〝憲法の精神〟の一つなのだ。

 

軽々しく改憲を口にする方だけあって、権力の座に就いたものに対しては「なんびとたりとも」それに触れることはできない、とでも改憲をしたいというのだろうか。

 

もうこれ以上、自分のご都合主義でこの国をもてあそぶことはお止めなさい、と言いたい。所詮こんな言葉は、市井の一老人の戯れ言に過ぎないかもしれない。けれど、最高権力者であるからこそ、常に謙虚であらねばならない。

 

心に『欲求耐性』を持ち、謙虚に自らの足下を見つめ直し、この間に行った数々のことを顧みて、批判に対して謙虚であっていただきたいと切に願う。