北前船の繁栄の跡をたどる観光 | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

このブログで福井県敦賀市から若狭湾の小浜市、京都府北部の舞鶴市、宮津市、京丹後市を通り、兵庫県の豊岡市から但馬地方、鳥取市に至る日本海側を観光ルートとして考える、という話題を20188月に書いたことがある。

 

こんな時期だから、どこに出掛けるということもなく家に閉じこもっている間に、妄想の中で旅をするというのも悪くないだろうと思った。

 

そうしたところ、昨日配信されていたインターネット情報誌「TRIP EDITOR」に、「江戸情緒あふれる、いまもなお美しい日本海の『北前船』寄港地5選」という記事があった。

 

「北前船」とは、大坂から瀬戸内海を抜け、日本海に出て北へ向かい、山形県の酒田市、後には蝦夷地の松前まで往来した、物資集散のための主要航路である。

 

 

 

松前までの航路を開いた高田屋嘉兵衛の話は、司馬遼太郎さんの小説「菜の花の沖」で読んだ。また北前船で賑わった酒田市のことは、NHKの「ブラタモリ」でも取り上げられていた(20189月放送)。

 

昨日の記事は、「『北前船』寄港地5選」として、京都府宮津市、福井県小浜市、石川県輪島市、富山県富山市岩瀬、新潟県佐渡市小木町、そして山形県酒田市が挙げられていた。

 

そもそも「北前船」は帆に風を受けて進む。それで風除けのための寄港をしたり、無風であれば風待ちをしたりと、長い航路の間にはいくつもの寄港地が必要となる。

 

さらにこうした寄港地では、積んできた京・大坂の物産を荷卸しし、代わりにその土地の物産を積み込んで、京・大坂へ持ち帰るという交易を行っていた船である。

 

 

 

北海道の松前まで航路が開かれてからは、松前の特産品である「昆布」が大坂に持ち込まれて売りさばかれるようになったから、今も大阪では「昆布だし」の文化が栄えている。

 

同時に、輸送途中で昆布の表面にカビが出るため、途中の富山県や福井県で荷卸しされるものもあるので、富山県は〝とろろ昆布〟を使った郷土料理なども発達し、今も昆布消費量は全国一となっている。

 

というようなことで、「北前船」の寄港地はかつて商業都市として栄えた町が多かった。だから、その当時の面影が残っている「港の散策スポットを選んで」記事にしたということだった。

 

記事でも、「さすがに往時の繁栄は過ぎ去り、港の商いも停止している場所がほとんど」だが、「歴史や文化の痕跡は十分に感じられる場所」だと書かれていた。

 

こういうところへ、のんびりと旅に出かけるのも良いだろうと思う。山形県の酒田市は、最上川の河口に位置する町で、舟運で庄内地方のコメや紅花なども集められた。

 

だから酒田市には、これらの特産品を商って、かつては日本一とも言われた豪商「本間家」の建物などの関連施設も、観光スポットとして残っている。

 

と言うようなことなのだが、記事で紹介されていた京都府の北部・宮津市は、全国的にはあまり知られていないかもしれない。実は日本三景の「天橋立」がある町なのだが。

 

 

(天橋立と言えば「股のぞき」で見る)

 

この宮津市も、「北前船」の時代には寄港地として栄えていたことを示す、「宮津節」というユニークな民謡が今も残されている。

 

この宮津節には、「〽丹後の宮津でピンと出した」というフレーズが何度も出てくる。少し歌詞を紹介してみたい。最初はこんな歌詞で始まる。

 

「〽二度と行こまい丹後の宮津 縞の財布が空になる 丹後の宮津でピンと出した」

 

「縞の財布が空」になるのだ。縞模様の絣(かすり)でできた長財布だ。「ピンと出した」とは、気前よく金を払って遊び、財布が空になるほど使ってしまったということだ。

 

何にそれほど使うのか。当然それは酒色である。宮津市の市街地に「新浜」という花街があった。記事にも、「かつて花街としてにぎわった雰囲気が残って」いると紹介されている。

 

 

(かつての面影を残す宮津市新浜地区)

 

だから「宮津節」には、名勝「天橋立」も唄われているけれど、途中には「〽行こか戻ろか橋立なぎさ いとし宮津の灯が招く」という、花街へ行きたい男心を示した部分もある。

 

そして最後の部分は、「〽丹後の縮緬加賀の絹 仙台平には南部縞 陸奥の米沢江戸小倉 丹後の宮津でピンと出した」で終わっている。

 

「丹後縮緬(ちりめん)」は、宮津市周辺の特産品である。〝縮緬じわ〟と言われる細かい凹凸が着いた高価な絹織物だ。そして「加賀の絹」も出てくる。金沢市は〝加賀友禅〟で有名な絹織物の産地だ。

 

 

(丹後ちりめん)

 

さらに「陸奥の米沢」である。米沢は山形県米沢市。「北前船」の寄港地の山形県酒田市とはかなり離れているけれど、最上川の舟運でつながっている土地だ。

 

この米沢市は今では米沢牛が有名だが、江戸時代には、有名な藩主・上杉鷹山や重臣・直江兼続などが、産業政策として桑・からむし(苧麻)・紅花などを栽培させて、絹・麻織物を生産し、また紅色を出す原材料の紅花が特産品だった。

 

つまり、「宮津節」の中に「陸奥の米沢」と言う歌詞が出て来るのは、なにも仙台平(せんだいひら)などの織物と並べて、というだけでなく、物資の行き来があったからにほかならないと思う。

 

こうして、「北前船」という物資輸送の大動脈だった寄港地は、それぞれに商業都市として栄えていた。だから、その頃の繁栄の面影が残る地域は、それぞれに何がしかの観光スポットがあると言うことになる。

 

この宮津市や、かつては日本海軍の重要な軍港だった舞鶴市、さらに福井県の若狭湾の中央部にある小浜市や、若狭湾の東側になる敦賀市などの地域をつないで、今もそれなりには観光地である。

 

 

(若狭湾の景勝地「三方五湖」)

 

さらに宮津市から西へ京丹後市~城崎温泉とつながって、兵庫県の但馬地方から鳥取市に延びる日本海側のルートは、歴史とともに温泉地も多く、冬場のカニという味覚の観光スポットでもある。

 

 

 

だから、このウィルス騒動がひと段落すれば、こんな場所をユックリと巡るのも悪くない旅だと思う。