オンライン開催の「朝カフェ」に参加して | がいちのぶろぐ

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今日はここまでの半日で、いろいろなことがあり過ぎた日になった。朝8時からは「上京朝カフェ」がインターネットを介して開催された。この話は後で書くことにして。

 

昼食後、すぐ買い物に出掛けた。と言っても私の買い物はアルコール(消毒用ではない)類の仕込みがメイン。近所の酒類量販店が、月に一度のサービス期間だったから。

 

それで自転車で出掛けようとしたところ、サドルに誇りがいっぱい着いている。持っていたエコバッグではたいてから、隣りの自転車を見るとやはり灰白色に。

 

 

 

そうか、この23日動かさなかった自転車には、黄砂が降り積もっていたのだ。ちょうどこの時期は、中国大陸の内奥部の黄土高原から偏西風に乗って黄砂がやってくる。

 

この数日は雨が降らなかったから、動かしていない自転車のサドルには黄砂が積もったままということだ。それにしてもけっこうな量になっている。

 

 

 

次に、酒販店に行く途中で、高校生くらいの若者が6.7人、マスクも着けずに自転車でやって来た。中の一人は、前籠にバスケットボールを入れていた。なるほど、この人数なら3on3(3人制バスケットボール)くらいは出来そうだ。

 

外出自粛と言われてはいるが、こうした若い人は、こんなに長い間外出せず家にいろと言われてもとても無理な相談なのだろう。それにマスクをしていれば、バスケットボールもやりにくいだろう。

 

彼らの行く先は、おそらく鴨川河川公園の運動広場にある、バスケットボール用のゴールポストのところだろう。そこ以外には、たぶん近くにゴールポストはないから。

 

それに鴨川河川公園なら、体育館と違って「密閉」ではない、という理屈も立つのだろう。「密接」に「密集」することは間違いないけれど、〝自分たちは感染しない〟という根拠のない自信もあるのだろう。

 

 

 

これは、テレビのニュースで流れていた、神奈川県の湘南海岸に週末に大勢集まって来る人たちにも共通した考え方だと思う。海岸は「密閉」ではないというだけの理由で。

 

酒類を買いに出掛けたお店では、レジの前の床に1.5mおきに横線と矢印のビニールテープが貼られており、お客はその目印に沿って、間をあけてきちんと並んでいた。

 

順番が来てレジの前に行くと、天井からは透明のビニールシートが吊り下げられており、お金やカードの受け渡しは、手渡しではなくすべてトレーを利用する。

 

 

 

とにかくできるだけの予防措置をして営業を続けている。来る道ですれ違った若者とは異なり、お客も店員も全員がマスク着用だし、何よりお客は全員が中高年だった。

 

さて、今朝の「上京朝カフェ」の話だが、一度は今月の定例会は中止という知らせだったけれど、ZOOMというソフトウェアを利用してオンラインで開催ということになった。

 

そこで、8時前にパソコンの前に陣取って、ZOOMを起動してスタンバイ。しばらくして開始されると、すぐに5,6人が参加した。自己紹介などをしているうちに、徐々に参加者が増える。

 

 

 

これは区役所の会議室で行うオフ・ラインの会議と同じパターン。途中で、進行役の方が3つにグループ分けして、それぞれ3,4人のグループに分かれた。

 

そのあと20分ばかり、私は3人のグループであれこれと話をしていた。話の途中から、学生と高齢者をつなぐ〝手紙のやり取り〟をしてはどうだろうという話題になった。

 

きわめてアナログな自筆の手紙のやり取りは、高齢者にはむしろ長年慣れ親しんだコミュニケーション方法だし、日頃オンラインでつながることが多い学生にしてみれば、少し新鮮なやり取りになるかもしれない。

 

私のグループの話として、ここから何か新しい取り組みの芽が生まれるかもしれないとなった。グループでの話が終わり、再び全員集合となった時には、15人近くの参加者になっていた。

 

 

 

最後に全員で、グループでの話合いの中味を持ち寄ったところ、宅食配達事業と手紙の融合という実現性のあるアイデアが出てきた。

 

さらにずっと参加していた上京区長からは、郵便局に専用の投函箱を置くなどして連携する方法もあるのでは、といったアイデアも出されたが、これは少し難しいかなということになった。

 

いずれにしても、若者と高齢者を結ぶところから、京都市が提唱している「ソリデール事業」につながって行くのではないか、という点では話が一致した。

 

「ソリデール事業」とは、家がそれなりに広く空き部屋もある高齢者の住宅に、学生が昔風に下宿する。それも格安で下宿できる代わりに、高齢者への見守り活動になる、という事業だ。

 

京都は学生の町であり、学生向けのワンルームマンションも急増したけれど、京町家などでは空き家も増加している。また独居老人の所帯も増えている。

 

 

 

だから、格安で下宿できれば学生は助かるし、特に独り暮らしの高齢者も同居者がいれば安心して暮らせるのではないか、というのが発想の源である。

 

ただこのご時世に、むやみに知らない人を家に入れるのも、と考える高齢者もいるだろう。だから、アナログな手紙のやり取りから始めて、双方が気に入ればそこに下宿するという考え方をすればどうだろう、というところまで話は広がって行った。

 

私たちが、3人のグループで話したことが引き金となって、ここまで話が伸びるとは思わなかったが、これが動き始めれば、システムとして案外と面白いことができるのではないかと思う。

 

こんなことでリモートでの朝カフェは、あっという間に1時間半が過ぎて行った。急に動き出すものでもないけれど、人が集まって語り合えば何か芽が出る可能性は出てくる。

 

元々〝カフェ〟という場所を示す言葉の中に存在していた、お客同士の〝談論風発〟とは、まさにこのことではなかっただろうかと思った。

 

朝から今まで、今日は何だかいろいろなことがあった一日だった。次はできれば「ZOOM飲み会」にもチャレンジしてみたいと思うくらいになった。

 

このZOOMというソフトは、セキュリティがうんぬんされている。アメリカでは、仕事の会議ではこのソフトを使わないようになりつつあるらしい。中国のファウェイのソフトだからかもしれない。

 

 

 

私たちが話すレベルでは、アカウントの乗っ取りなどさえなければ、機密事項となるような話も持ってはいないからこのソフトでもいいのかなと思う。

 

いずれ、今回のウィルス騒動の〝おかげ〟で、高齢者の私なども双方向でのインターネット会議まで体験できるようになった。

 

それでも一日も早く終息して、やはりオフ・ラインで顔を突き合わせて気軽に話しできる日が来て欲しいと思う。