失敗の本質を画に描いたようだ | がいちのぶろぐ

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本州の南側を低気圧が通り抜けたため、夜中には激しい雨が降っていた。冬は暖冬異変だったけれど、春になってもなかなか気温が上がらないので、春らしいポカポカ陽気にはなってくれない。

 

そこへ全国一斉に緊急事態宣言が出されたこともあって、世の中もこの陽気と同じように〝冷えびえ〟としている。

 

昨日には、総理が全ての人に対する一律10万円の給付を認めたことから、政治の世界ではこの政策の賛否を巡って一挙に〝ぎくしゃく〟し始めてきたようだ。

 

ところで今回のコロナウィルス騒動で、政府が行った対応策の遅れなどを考える場合に、最近の色々な論調の中に、ある書物が引用される場合があるのに気付いた。

 

旧・日本軍が第二次大戦において行った作戦で、どのような失敗があり、それがどのような結果を導いたかを研究した、「失敗の本質」(野中郁次郎他、1984、ダイヤモンド社)を引用して語られているのだ。

 

 

 

「失敗の本質」の第3章「失敗の教訓 日本軍の失敗の本質と今日的課題」では次のように書かれている。

 

「組織がうまく環境に適応するためには、組織は直面する環境の機会や脅威に組織の戦略、資源、組織特性(構造・システム・行動)を一貫性を持ってフィットさせなければならない。」(p.245

 

 

(「失敗の本質(p.243)」より引用)

 

また、「組織文化」の項において、「組織文化は共有された行動様式である」、「組織の共有された行動様式の体系が組織文化であるとするなら、その最も根幹をなすのは、その組織の持っている価値である」(p.262)と述べられている。

 

そう言えば先般亡くなられた元・プロ野球監督の野村克也氏が、監督時代に「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という言葉を、よく口にされていたことを思い出した。

 

「負け」という結果になったのは、「直面する環境の脅威」に対して「組織の戦略、資源、組織特性(構造・システム・行動)を一貫性を持って」当たることができなかったからだ、と言いたかったのだろう。

 

逆に「不思議の勝ち」という時は、相手側の行動などが「一貫性を持って」いなかったために勝ちを拾った、という場合だってあるという意味だと思う。

 

つまり、相手側が「組織文化」として「共有された行動様式」を持っていないから、「システムや行動」に「一貫性」が作り出せなかったので勝てた、と言えるのではないか。

 

これを現在のウィルス騒動に当てはめて考えると、政府なり官僚組織が「直面するウィルスの脅威」に対して、「組織の戦略、資源、組織特性(構造・システム・行動)を一貫性を持って」対応できていないのではないか、ということになる。

 

「組織文化は共有された行動様式」だけど、政府や官僚組織がこの「組織文化」の〝根幹〟となる「組織の持っている価値」観を十分に共有していないということだ。

 

だから「採るべき戦略」や「行うべき行動」に「一貫性」を持たせる、という考え方まで共有するような「組織文化」にはなっていない、ということだろう。

 

もっと俗っぽく言えば、それぞれのセクションが「バラバラ」に、その時々の「思い付き」で行動している、ということだ。

 

「行動様式の体系」が、「組織の戦略」や「構造・システム・行動」において一貫性を欠いているから、「不思議の負け」ではなく「負けるべくして負ける」ということになる。

 

政府や官僚組織の中枢には、日本でもトップクラスの頭脳を持っている、東京大学を優秀な成績で卒業した官僚がスタッフとして多数存在している。

 

にもかかわらず、〝戦略はコロコロ変わるし、行動には一貫性がない〟ということは、「ウィルス騒動を終息させる」という「組織の価値=目標」に向かって、「組織文化」として「価値」を共有できない集団になっているのだ。

 

また「孫子の兵法」の中で、孫子は戦争という〝国家の一大事〟に国民を向かわせるためには、「戦略」に先立って、トップの「名望」が最も重要だと説いている。トップが国民を納得させられるからこそ、立てた「戦略」も生きるということだ。

 

ところが「マスク2枚騒動」や、「星野源さんを捻じ曲げて利用」したこと、それ以前に「森と桜」や「検事総長」の件でも、この間、明らかにトップへの信頼性が揺らいでいる。

 

 

 

こんな状況ではトップに「名望」などないに等しいから、孫子に言わせれば参謀=スタッフが立案する「戦略」以前の問題だ、ということになるだろう。何とも情けない話になって来た。