西陣の寺々に桜もとめて | がいちのぶろぐ

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去る15日に行われた、個々人が自分の好みに従って「西陣」一帯を歩いて回るという、少し変わった「町歩き」に参加したことはすでにブログに書いた。

 

 

 

そのブログで、私が選んだ町歩きのコースは、それなりに知られた一本桜などがある寺社を巡るコースだったことを書いておいた。

 

ただ「町歩き」イベントの時には、桜はまだ開花していなかった。そこで、それぞれの寺社の桜を見るために、今日の午後、あらためて先日行った寺社を巡ってみた。

 

今日は、イベントの時に歩いたのとは逆に回ることにした。我が家から「今出川浄福寺」バス停まで行き、浄福寺通りを今出川通りから北へ向かって10分足らず歩いて、最初に「雨宝院」を訪れた。

 

 

 

場所は<上京区上立売通り知恵光院西入ル>という、細い上立売通りに面した小さなお寺で、歓喜天(聖天さん)を祀っていることから、「西陣聖天」とも呼ばれている。

 

ここは紅枝垂れ桜や、御衣黄(ぎょいこう)という花びらが緑がかった桜があるが、今日は残念ながらまだ「蕾ふくらむ」といった状態で、見頃は月末ぐらいだろうと思われた。

 

次に近くにある「妙蓮寺」に行った。場所は<上京区寺之内通り大宮東入ル>という、「堀川寺ノ内」バス停から西に200mほどのところにある。

 

ここは日蓮上人入滅の地という由緒あるお寺で、本堂の前にある「御会式桜(おえしきざくら)」は、上人入滅の日の1013日頃から48日頃まで開花するという。

 

 

「御会式桜」はちょうど見頃を迎えていた。この桜の花びらは、八重桜ほどではないけれど、それでもソメイヨシノの5弁よりは多い品種。ただし、その他の桜の古木はまだ「三分咲き」というところだった。

 

 

 

 

 

次に堀川通りへ出て、信号一つ北に行った「水火天満宮」に行った。場所は<上京区上御霊前通り堀川>の角にある。隣り合って天神公園があるので、「天神公園前」バス停の真ん前になる。

 

 

 

こちらは、〝早咲き〟の紅枝垂れ桜で、今日はちょうど見頃になっていて、見物に来られている方もあった。少し濃いピンク色の枝垂れ桜が、きれいに垂れ下がっていた。

 

 

 

 

「水火天満宮」を出て、天神公園の東側の通りを南に向かう。このさして広くない通りに、「裏千家」と「表千家」が並んでいる。表千家の「不審庵」の門の前には、「千利休居士遺跡 不審庵」という石碑も建っていた。

 

 

 

 

その向かい側には「本法寺」がある。ここは、先日の「町歩き」イベントの時には立ち寄らなかった。場所は<上京区小川通り寺ノ内上ル>ということになる。

 

 

 

このお寺の山門の前に川幅ほんの数mの小川があるので、通りの名前は小川通りである。「応仁の乱」の時にはこの数mの小川を挟んで、東軍と西軍が激戦を行ったという。

 

少し長い槍なら穂先が届きそうな距離である。それで、寺之内通りをまたいで小川に架かっていた激戦の地「百々橋(どどばし)」の礎石が、その遺跡として通りの片隅に置かれている。

 

 

 

 

本法寺は「本阿弥光悦」ゆかりのお寺であり、本堂の脇には「光悦手植えの松」があり、ちょうど現在は「春季特別寺宝展」として、長谷川等伯の「大涅槃図」が公開(1,000円)されている。

 

 

 

 

広い境内には、そこここに桜が植えられていて、今は「五分咲き」といったところだったが、ここは特に桜の名所ということではない。裏側に当たる堀川通りからでも、本堂の大屋根が見えるくらい堂々とした大寺である。

 

 

 

「百々橋」跡から寺之内通りを東にいけば、すぐに「妙顕寺」がある。場所は<上京区寺之内通り小川東入ル>ということになる。

 

 

 

このお寺には「光琳曲水の庭」などの名庭園もあり、現在は、「春の特別拝観」(800円)が行われているが、桜はまだ少し早いというSNS情報だったので、そこには入らなかった。

 

山門には「勅願寺」と掲額されていて、広い境内の西側には、桜の老木が何本も植えられているが、こちらもまだ「三分咲き」といったところだった。

 

 

 

妙顕寺を出てからは、南東方向に同志社大学新町校舎<上京区新町通り上立売下ル>に向かってぶらぶらと歩いた。この新町キャンパスの中庭には、桜が一本きれいな花を咲かせていた。

 

 

 

そのすぐ南側の今出川通りで、上京区総合庁舎と出会う。ここからバスに乗って帰宅したが、家を出てから2時間足らず、歩いた距離にして3km余りという桜見物だった。

 

それでもこの一帯は、「由緒」やら「いわれ」が固まって存在している場所だけに、桜並木といった雰囲気とはまた違う、けっこう中味の濃いお花見になった。