商店街の再活性化に向けた取り組み | がいちのぶろぐ

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昨日のブログは「京都商店街創生フォーラム」に参加した、という事実を報告するだけに終わってしまった。今日は、その中味を少し振り返ってみようと思う。

 

 

 

とは言え全体では4時間半の長丁場のイベントで、前後の2時間は挨拶や流れの説明、それに交流タイムとして使われた。また、第2部は1グループ10分足らずの実践報告だった。

 

 

 

そこで、主として第1部の名古屋・円頓寺(えんどうじ)商店街の再活性化の実践報告で、お二人の方が話されたことを中心に考えてみたい。

 

 

 

このトークセッションのタイトルは「商店街でのウチとソトの関係性」と題されていた。「ウチ」とは商店街の中にいる人々であり、「ソト」とは外部から商店街に関わる人々である。

 

そこで「ウチ」の人として、この商店街で100年続く化粧品店に生まれた女性・藤田まやさん、「ソト」からは建築家で、この商店街の再活性化と関わって来られた市原正人さんが来られた。

 

 

 

現在お二人は共同で、「ナゴノダナバンク」という商店街再活性化のコンサルティングなどを行う事業を行っておられる。

 

 

 

円頓寺商店街は、名古屋駅から徒歩5分ほどの位置にある古くからの商店街で、大須・大曾根の商店街と並ぶ、「名古屋三大商店街」の一つに数えられているということだった。

 

フォーラムの場で、「この商店街に行ったことがある人」という質問が最初にあり、私は知らなかったので手を挙げなかったが、説明を聞いているうちに、「あそこだったのか」と思い当たった。

 

 

 

随分以前のことになるが、名古屋駅に近い駅前大通りのビルで、ある講習会が行われたことがあり、たまたま講習会に参加していたので、帰り道に回りをぶらついたことがあった。

 

その時、偶然にこの商店街に行っていた。昨日のフォーラムで写真が映し出され〝あそこか!″となった。商店街の名前など気にせずに、かなり歴史がありそうな(つまり古そうな)商店街と思いながら歩いていた。

 

このお二人が再活性化と取り組まれるよりも随分前のことだ。だから中心市街地にありながら、その時点では目抜き通りから少し離れた、どこにでもある〝古ぼけた商店街″というイメージだった。

 

もちろんこれと言って見るべきお店もないし、よく言われる「○○の台所」というような生鮮食品が中心の商店街でもなかった。その時の雰囲気は、本当にどこにでもある衰退し始めた商店街だった。

 

 

(現在では随分と変わってきている)

 

後に名古屋の方に教えられたのだが、円頓寺商店街は古くからの商店街だけど、現在は金山駅前や大須・今池といった商店街の方が栄えているということだった。

 

名古屋駅前は、今はご存知の通りそれこそ広い大通りが通っている。その通りから見れば、この商店街は〝駅裏″的な雰囲気さえ漂う場所だ。

 

きっと駅前の再開発や整備が進み、どんどんとビルが建って行くうちに取り残されたかっこうになった、昔の駅前商店街なのだろう。

 

今ではJR・名古屋駅と名鉄・名古屋駅を中心に、駅ビルや地下街などに百貨店や専門店・飲食店などすべてのものが揃っている。これが円頓寺商店街の置かれている状況だ。

 

 

 

そこで、「ソト」の人間の市原氏がこの商店街を訪れた時に、何かできないだろうかと思ったのだという。この商店街の周辺は、かつては芸者さんもいるという繁華な歓楽街というイメージだったらしい。

 

そこから市原氏を中心に20人ばかりの専門家集団が集まり、「那古野(なごの)下町衆」という組織を立ち上げた。ただ20人では中々意見がまとまり難いので、さらにコアとなる6人が「那古衆」として残った。

 

 

 

この人たちは「ソト」の人であり、「ウチ」の人たちには当たり前だったことが、むしろ新鮮に見えたという。そこから様々な仕掛け作りが始まった。

 

この商店街にある「老舗」「名物料理の店主」「歴史的な街並み」「祭り」を大切にし、これらを4つのテーマとした。それが「魅力ある街」「カリスマ性のある人」「記憶に残るハードデザイン」「誇りに思う祭り」というキーワードになった。

 

 

 

さらに空き店舗を借り受けるため、家主に対して「事業・完成図・収支予想・家賃収入」を示した具体的な提案を持って行くことで、貸してもらえる算段を付けた。この具体性がないと、家主に会ってもらうことも難しかったらしい。

 

こうしてスタートさせた再活性化事業だが、ゆるやかに衰退していたのだから、再活性化も〝ゆるやかな再生″を目指したという。

 

急に何もかもができるということではないから、年に2,3件の再生を目指した。それが当時はあまり存在しなかった「スペインバル」から始まり、女子大生が起業した「カフェ」、古くからの蔵元が経営する「バー」などへつながった。

 

さらに、商店街に古くからあった「七夕祭り」はそれなりに人を集めていたが、ここに新たな祭りを持ち込んだ。この新しい「祭り」は、「ウチ」と「ソト」との協働作業だった。

 

 

 

このように、既存の仕組みは仕組みとして残した上で、そこへ新たな別の仕掛けを持ち込んで行った。

 

もう一つは、この商店街の周辺は大都市の中心部でありながら、なお多くの人が住んでいる場所なので、「人が住み続ける町づくり」ということを意識し、長屋の再生なども行った。

 

こうしたことをゆるやかに行っているうちに、その実績が「名古屋円頓寺商店街の奇跡」という書籍になり、それが名古屋市の行政の目に留まった。

 

ここから、名古屋市も「商店街商業機能再生モデル事業(通称・商店街オープン)」という取り組みを行うようになり、名古屋市内の他の商店街も手を挙げて、再活性化と取り組むようになった。

 

これまでの再活性化でのポイントは、「店を持てない人に期間貸しをする」、「1棟を分割して小規模複合施設にする」、「空きビルをリノベーションし、分割して貸す」といったことを行ってきたという。

 

さらに、外部からの「持ち込みイベント」を歓迎しているということだった。こうして、「ゆるやかな再活性化」が軌道に乗ってきたという結論だった。

 

「ウチ」と「ソト」の立場でのトークセッションで、お互いがお互いの立場を尊重しつつ、それぞれの意見を述べ合ったので、わかりやすく、よいトークになったと思う。

 

この時に話されたことは、商店街の再活性化の核心に触れる部分が多かったと思う。もう少し私の中で発酵させて、さらに考えてみたいと思う。