中年女性の雑談力は言葉の壁を超える | がいちのぶろぐ

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昨日実施したワークショップで、少し面白いことに気付いた。中年女性の思考の〝有り方″と考えても良いだろうと思う。

 

昨日のブログでも書いたように、私が関わっている「定住外国人支援」のNPO団体が、昨日、京都市上京区の京都信用金庫西陣支店にある「クリエイティブコモンズNISHUJIN」というスペースをお借りして行った。

 

 

 

「となりの外国人とのお付き合いワークショップ~おしごと編」として、商店や飲食店で外国人のお客さまを接客する時に、「やさしい日本語」で接することを学んでもらうためだった。

 

「やさしい日本語」とは、「誰にでもわかりやすい」表現や話し方で会話する、という趣旨である。東京オリンピック・パラリンピックを控えて、政府でもその必要性を認めて、ガイドラインを示そうとしている。

 

そんな中で昨日は、3名の外国人ゲストを交えて、12名の参加者で開催した。外国人ゲストは、日本語学校に通い始めて半年余りという、まだ日本語がそれほど自由ではない若い人たちだった。

 

 

まずは「やさしい日本語」の〝こつ″として、「はっきり言う」「最後まで、ゆっくり言う」「短い文章で言う」という「は・さ・み」の法則や、難しい単語の「言い換え」といったポイントの解説があった。

 

 

 

それから1時間ほどをかけて、参加者が外国人のお客さまが来た時に「困ったこと」や「上手く行ったこと」の体験談を話し合い、次いで外国人ゲストに「商品説明」を実際に行ってみた。

 

体験談はともかくとして、外国人ゲストに商品説明を行った時のことである。私が話し合いのサポーターとして着いていたテーブルには、3名の中年女性がおられた。

 

この方々の外国人との接し方を、私は横で見ている格好になった。この中年女性は、それぞれが和菓子店や洋品店で働いている方など、仕事を持っている方だった。

 

 

 

彼女たちは明るくて親切で、話し好きの方ばかりだった、だから、若い外国人ゲストには、それこそ親戚の甥や姪と接するように、とてもフレンドリーに接してくれていた。

 

だがしかし、商品説明を「やさしい日本語」で行うパートになると、様子が一変した。こちらが用意しておいた数点の小物の中から、まず洋品店の女性が「風呂敷」を題材に取り上げた。

 

 

さて、どんな説明になるだろうと思ったら、「何でも包める。わかりますか?」「(ゲスト)???」「これを広げて、包む」{???}「全部OKね」{???}という具合に続いて行く。

 

私がとうとう、「もう少し丁寧に、何に使うかを教えてあげて」と口をはさむと、「うーん、まあ昔は暗い色だったけど、今はカラフルね」となり、そこで説明を断念してしまった。

 

外国人ゲストは、結局「風呂敷」なる布地が何であるか、わからないままだった。次に、和菓子屋さんの女性が「生八ッ橋」を取り上げた。これはさすがに「お菓子」であることは、ゲストの外国人にも伝わった。

 

 

 

次に、味や材料を説明し始めた。米の粉を材料に使うことは、何となくわかったみたいだが、そこから先に進まない。ついに「私の店なら、試食させてあげるのだけど」という結論になった。

 

試食というのはよくあることだから、それで良いか、ということだろう。こうして、明るく笑いが溢れたグループワークが終わった。

 

 

 

私はかねがね、中年女性の「雑談力」は凄いと思っている。昨日もその「雑談力」がいかんなく発揮されていた。外国人だろうがお構いなしに、フレンドリーに話しかけるのは凄いことだと思う。

 

ただ、出身地やら、何しに日本へ来たのだとか、事情聴取のような質問の嵐だった。私も「お互いに、もっと体験談を話し合って」と割って入るのだが、もうノンストップでゲストを質問攻めにする。

 

しかも、途切れることなく話が続いて行く。その展開の速いことといったら、こちらが話を誘導する隙間もない。それで肝心の商品説明になれば、伝わらないと見るや、さっさとあきらめてしまった。

 

そしてすぐに、「大学は、どこへ行くつもりなの」と、個人的な質問に入って行く。これって、何なのだ~」と思っても、こちらが話を元に戻すこともできない勢いだった。

 

 

 

いや、まいった。正直、もっと「やさしい日本語」を学んでほしいと思うのだけど、会話という意味では、外国人ゲストと話は噛み合っている。ちゃんと答えられるような質問になっている。

 

中年女性の「雑談力」は、横で聞いていても、「短いセンテンス」で成り立っているし、言葉も明瞭だし、「は・さ・み」の法則に従っている。論理的な話をしないから、センテンスは必然的に短くなる。

 

「雑談力」というか「会話力」は、中年女性を見習わないといけないと、この点ばかりは感心した。ただし「商品説明」など、それなりに論理性を求められる場合の〝あきらめ″の早さも凄かった。

 

ここはきちんと伝えてあげて、と思うのだが、わからないものは仕方がない、とあっさり割り切るのも凄い。

 

昨日のワークショップは、商店や飲食店での接客ということだったが、定住外国人が日常的に買い物などで接する場合、こうした明るくフレンドリーな人たちであれば、それはそれで良いことなのかもしれないと思う。

 

 

常にそんなに難しい話をするわけでもないだろうから。

 

「やさしい日本語」の原点は、きっと明るくフレンドリーで、差別も区別もしない「心の在りよう」なのだろうと思った。でも少しだけ、心の隅っこに引っ掛かりも残ったけれど。