ぼんやりと世代の移り変わりを考えていた | がいちのぶろぐ

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先日、私の誕生日に朝早く孫たちが、娘の撮ったスマホの動画で、「誕生日おめでとう」というメッセージを送ってきてくれた。

 

それは、ジイジとしては素直に嬉しかった。今朝から、何となくその時のことを思い出していて、フッと時代相ということに思いが至った。

 

現在は、明治の初めから数えて150年余りになる。メッセージをくれた孫たちは、ザックリと考えて、明治初期からは6代目の世代ということになる。

 

明治の初期に生まれた人たちが情報を得る手段は、瓦版から新聞に変わった時代だった。その次の世代の、明治中期に生まれた世代は、新聞の時代だった。

 

3代目になれば、大正の生まれということになる、この世代は、ラジオと出会った世代だった。

 

 

その次の4代目は、第二次世界大戦の戦中~戦後の生まれとなり、白黒テレビと出会った世代。これが私たちの世代だ。

 

 

次の5代目となる私たちの子ども世代は、昭和後期に生まれ、カラーテレビを見て育ち、早くに携帯電話と出会った。

 

 

 

そして、6代目となる私たちの孫世代は、平成に生まれて、スマホ・ネイティブとして育っている。

 

明治・大正・昭和・平成と過ぎてきた間に、瓦版から新聞、ラジオ、白黒テレビ、カラーテレビ、携帯電話、そしてスマートフォンと移り変わってきた。

 

江戸時代の250年余りは、初期と後記では随分と生活も変わっただろうと思う。それでも、基本は徒歩と、狭い地域での伝聞という情報拡散の中で過ごしてきた。

 

そして今、私の孫たちはスマホで画像情報を使って、メッセージをやり取りしている。それを不思議とも思わずに。

 

 

 

明治の初期から私たちが生まれた頃までと、私たちが生まれてから現在までが、ちょうど同じくらいの年月になる。

 

明治初期に生きた人たちは、私たちが見て育った白黒テレビを見たらどう思っただろう。きっと衝撃的だったと思う。

 

にもかかわらず、私たちの世代はそれなりにスマホを使いながら生きている。それだけ、時代変化への順応性は上がって来たと言えるだろう。

 

なぜこんなことを考え始めたのか、自分でもよくわからない。ただ日曜の朝の、ぼんやりとした頭の中に、こんなことが浮かんできたのだ。

 

通信技術の進歩は分進秒歩で変化していて、止まることがない。現在、実用化が目前になっている5G技術では、通信速度が一挙に2桁ほど早くなるらしい。

 

もはや〝瞬時″という概念が、〝瞬(まばた)き″するよりもよほど短い、という時代になっている。世界が常に同時進行で動いている、という時代になった。

 

さて、私たちの孫世代が親となって行くこの令和という時代は、どんな新しいことが待っているのか。そしてそれは、人類にとって良いことばかりなのだろうか。

 

それは、私たちの子ども世代がどう考えるかにかかっているだろう。だからこそ、私たちの世代は老害とならないように、注意する必要があると思う。