人もなく 神楽が岡の 青紅葉 | がいちのぶろぐ

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先日のブログで、これからの季節は「青紅葉」が美しい、ということを書いた。そこで思い立って、青紅葉を見物に出掛けてみた。

 

 

 

青紅葉が美しいということは、秋になればその青紅葉が色付いて美しくなる、紅葉の名所ということである。それで、紅葉の名所の「真如堂真正極楽寺」、俗に「真如堂」と呼ばれるお寺へ、午前中に出掛けてみた。

 

 

 

「錦林車庫前」のバス停で下車して、市バスの車庫の裏手になる、白川の細い流れに架かった小さな橋を渡ると、そこからすぐに爪先上がりの急坂になる。

 

真如堂は、吉田山の東側の中腹にある。だから吉田山に向かって、一気に上り坂が始まる。息を切らせながらこの坂を上りきり、そのすぐ先にある、石畳風のこれも急坂を上ると、真如堂の本堂の横に出る。ここまで、とにかく一気に坂を上るコースだった。

 

吉田山の東側の一帯は、「神楽岡」と呼ばれることもある。吉田山の西側、京都市街を見下ろすことができる中腹には吉田神社があり、その麓には京都大学のキャンパスが広がっている。

 

だが真如堂の側からは、吉田山に阻まれて京都の町は見えない。そういう位置関係にある。

 

真如堂の五重塔は、修理中で覆いに隠されていた。昨年9月の台風に、傷めつけられた影響でもあるのだろうか。京都の町は、第二室戸台風以来という強風によって、至る所が痛めつけられたから。

 

さすがに、真如堂はこの時期には取り立てて何があるという観光寺院でもなく、人影

はまばらだった。ただ、本堂の右横手には、さほど大きくはないが藤棚が設けられており、隠れた藤の名所でもある。

 

 

 

今朝は、既に藤の花が咲き始めていた。ただし、まだ花の房が垂れ下がるというほどでもなく、これ江から垂れ下がりますよ、という予告編程度の〝下がり藤″だった。

 

 

 

 

本堂の裏手に回ると、ここが見事な青紅葉になっていた。本堂のすぐ裏にある小さなお堂の周りを、一面に青紅葉が取り巻いていた。晩秋になれば、これが一斉に真っ赤に染まる。

 

 

 

 

 

 

青紅葉を堪能した後は、真如堂の墓場の脇を通って、南に隣接している黒谷・金戒光明寺に向かう。

 

金戒光明寺、通称「黒谷さん」は、江戸時代末期に「京都守護職」の会津・松平藩がここを本陣にしていた。そのため、真如堂と隣接した黒谷さんの墓地には、会津藩士を祀る墓場もある。

 

 

 

 

京の町を徘徊していた勤王の浪士を取り締まっていた際に、浪士と切り結んで落命した藩士もいたことだろう。そうした藩士の墓になっている。

 

その会津藩士の墓のすぐ横に、変わった形の墓石があった。「傀儡(くぐつ)塚」と書かれていた。人形を使いながら諸国を流していた「傀儡師(くぐつし)」と何か関係があるのだろうか。

 

 

 

この墓石のすぐ脇にある塔頭には、様々な花が植えられている。今日は、芍薬が大輪の花を開いていた。

 

 

 

 

金戒光明寺でも、五重塔が修理中だった。やはり、どうも台風に痛めつけられたせいらしい。高い場所にある、背の高い建物だから、五重塔は大変だったのだろう。

 

黒谷さんの墓場を下って、本堂から山門の方へ向かう。この山門の上に上がって南の方角を見れば、東海道を東の方、大津方面から京の都へ入って来る人の動きが、手に取るように見渡せる。

 

 

 

 

だから幕末には、連日、会津藩の藩士が山門に立って、東海道の見張りをしていたそうだ。その当時は、小高い丘の上にある大寺の山門という大きな建造物は、グルッと周りを見渡せる貴重なポイントだった。

 

 

 

ということで、黒谷さんから下ってバスに乗り、家に帰ってきた。2時間足らずの散歩だったけれど、明日は天気が悪くなるらしいし、今日も薄曇りだったから、日射しもなくそれほど暑くもなく、いい散歩日和になった。

 

今日は、昨日のブログで書いた「インサイト」とマーケティングの関係を考えてみたかったけれど、それは、追々に考えるとしよう。