インクラインで偲ぶ 疏水の功績を | がいちのぶろぐ

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朝から雲一つない、絶好の空模様になった。さすがに桜はもう見飽きた気分だけど、こんな好天にどこへも出掛けないで、家に引き籠っているのはもったいない。

 

ということで、今朝は少し遅めからのスタートになったが、とりあえず岡崎公園から平安神宮の方へ出かけることにした。といっても、何の当てもない散歩である。

 

 

 

 

市バスを「岡崎公園口」で下りたが、琵琶湖疏水沿いの桜はまだまだ健気に咲いている。とりあえず、ロームシアターの横の疏水沿いの桜を見ながら、平安神宮へ向かうと、前の広場では「平安楽市」と銘打ったフリマが開催されていた。

 

 

 

 

名残りの桜と好天の週末という組み合わせだから、このフリマも大勢の人で賑わっていた。ここでふと思いついて、「蹴上(けあげ)のインクライン」に行ってみようと思った。

 

(疏水の桜越しに平安神宮の大鳥居が見え隠れしていた)

 

(インクラインが終わったところで、動物園の桜と噴水が見える) 

 

琵琶湖疏水を通る「三十石舟」の舟運では、琵琶湖から山科まで疏水の流れを通って来た船が、最後に京都市内へ入るところで、船は台車に乗せられて、ケーブルカーのように山越えをする。

 

 

 

こうして、台車に乗った船が通っていた〝傾斜路線″がインクラインである。現在は、当時の線路の部分が開放されていて、そこを山の上の方まで歩いて行くことができる。このインクラインの両側が桜並木になっていて、桜の名所ともなっている。

 

 

 

今日もインクラインの、砂利敷きで歩きにくい道(?)を、大勢の観光客が名残りの桜を見ながら上り下りしていた。かなりの斜路なのだが、それでも子どもたちも上っていた。

 

(台車に載せられた三十石舟)

 

インクラインの頂上部分にある蹴上疏水公園には、明治の中期に、この琵琶湖疏水の建設という大工事の指揮を執った、若き英才「田邊朔郎」先生の銅像が立っている。

 

 

 

琵琶湖疏水の一部は、インクラインの頂上になる公園のところから、送水管を通って流れ落ち、日本初となる「蹴上発電所」で水力発電に利用された。現在も、関西電力蹴上水力発電所として現役で頑張っている。

 

 

 

その蹴上発電所への送水管の、「見張番所」がある広場の桜の前では、若い女性たちが代わる代わるに、「セーノッ」という掛け声とともにジャンプして写真を撮っていた。横から私も1枚撮っておいた。

 

 

 

疏水の水の一部は、蹴上疏水公園の横から、発電所より少し高い位置にある「蹴上浄水場」へ送られて、そこから京都市内の各家庭に、上水道として配水されている。

 

 

(インクラインから蹴上浄水場方向に見えるレンガ造りの建物)

 

何か気に入らないことがあると、滋賀県の人が京都の人に向かって、「琵琶湖の水を止めるぞ」と言って怒る、という〝笑い話″がある。琵琶湖疏水が止まれば、京都市民は命の水がこの蹴上浄水場へ来なくなる、ということである。

 

これに対して京都の人は、「水を止めたら、滋賀県は水浸しになるぞ」と反論する。ただし現実的には、「水利権」の問題で水を止めることは出来ないから、これはあくまでも笑い話である。

 

もちろん疏水の水を止めても、滋賀県は水浸しにはならない。琵琶湖の水の大部分は。瀬田川から南郷洗堰を通り、宇治川~淀川となって大阪湾まで流れ下っている。

 

蹴上疏水公園からは、歩きにくいインクラインの傾斜を下るのをやめて、公園の下へ降りて、インクラインの下になる「ねじりまんぽ(蹴上トンネル)」を通って、蹴上浄水場の横へ出た。

 

 

 

ここは、都ホテルの少し山側で、蹴上浄水場の真横になる。「ねじりまんぽ」とは面白い言葉だが、「まんぽ」とは「間歩(まぶ)」が訛った言い方らしい。トンネル(隧道)の昔の呼び方だという。

 

レンガ積みのアーチ状のトンネルを構築する場合、レンガを真っ直ぐに積み上げると強度が落ちるので、少しひねりを加えた形状に仕上げたということだ。だから「ねじりまんぽ」だそうだ。

 

 

 

私が子どもの頃は、この蹴上トンネル(といっても、せいぜい10mほどだが)の少し先にある「南禅寺」の前を通り、その北の若王子神社の前にある琵琶湖疏水分流の調整池が、夏の間だけプールとして開放されていたので、そこへ通っていたこともあった。

 

 

 

この分流が「哲学の道」の横を流れる疏水であり、インクラインの頂上から若王子神社の調整池に至る間で、南禅寺の境内を通っている流れが「水路閣」ということになる。

 

 

(南禅寺境内を通る疏水の「水路閣」)

 

つまり琵琶湖疏水とは、今日になって京都の様々な名所を創り出すことになった、原点だということもできるだろう。

 

実にン十年ぶりに、この蹴上トンネルをくぐったが、このトンネルの入口の上には、「雄想奇観」という額が掛かっている。疏水を構想した、当時の京都府知事・北垣国道の書になるという。

 

今日は花見と言うよりも、久し振りにインクラインの上まで、ブラブラと散歩をした。途中では、疏水の岸の桜を眺める三十石舟の遊覧船も行き交っていた。まだまだ名残りの花見をしながら。

 

 

 

良い天気の週末になった。蹴上からは、地下鉄東西線とバスを乗り継いで帰宅した。明日は雨模様だという予報だから、醍醐寺の「豊太閤花見行列」の見物は断念した。そこまでして行くほどのこともないだろう。