正常化を 改革と呼ぶ 馬鹿らしさ | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

企業のガバナンスや社会的責任(CSR)という言葉が呪詛となって、企業を縛り付け、結果的に企業の自由な活動を妨げているのだろうか。

 

このところ、宅配事業における人手不足問題に端を発し、「働き方改革」ということが急速にクローズアップされているが、そもそも残業代の未払いや、まともな休日が確保できないということは、「改革」以前の問題だと思う。

 

それ自体が労働基準法に違反しているのであって、そうしたことが常態化しているということは、明白な法律違反であり、本来は働き方改革などと言う範疇には入らない問題である。

 

ならば、コスト削減のためには、今までより以上に非正規雇用者を増加させる以外に方法がないではないか、という方向に動くことになる。

 

では、「非正規雇用」というのはいったい何なのか。そこには、基本的に2つのルートが考えられる。

 

一つ目は、パート・アルバイトという形態での短期雇用である。雇用契約そのものが、日限を切ってある雇用で、極端に言えば当日のみの雇用の繰り返しである。いわゆる日雇労働の延長線上にある働き方だ。。

 

二つ目は、人材派遣会社と契約して、派遣労働者を職場に迎え入れる形態である。

 

これらを同一に論じては問題がややこしくなる。日雇労働または短期の契約労働である場合には、雇用主が直接に契約主体の一方となる。それに対して派遣労働は、雇用者は派遣会社であり、派遣会社との契約によって労働場所に派遣されるので、その場所は特定されていないわけである。

 

こうした形態の働き方は、当然ながら、人が変わっても問題が生じないような作業内容の場合に限られてきた。それがいつの間にか、こうした非正規雇用でありながら、人が変われば問題が生じるような責任ある仕事までも、パートやアルバイトに任せるようになった。

 

派遣の場合には、さすがにそこまでの責任ある仕事とはならないものの、それでも戦力として期待されることも少なくない。

 

こうして、いつの間にか、非正規雇用と称される労働形態が常態化していった。では過去において、こうしたことはなかったのかというと、工場従業員などでは正規と非正規の狭間に存在する、日給月給制度といった雇用形態は普通に行われてきた。

 

正規雇用であり、社会保険制度の中に組み込まれていても、給与体系は事務職や営業職の社員とは全く異なる「出面(でずら)賃金制度」が採用されていた場合が少なくなかった。

 

大工仕事などの職人の働き方に近い考え方だった。仕事場に顔を出して一日働いて幾ら、という考え方である。

 

ただ、こうしたことが少しずつ変化して、いつの間にか「終身雇用」という日本型の働き方が出来上がっていった。だから、終身雇用ということ自体が、それほどの歴史を持っているわけではない。

 

そんな中で、この間の「人手不足」に端を発した「働き方改革」というテーマに、問題が移行してきた。

 

そしてとうとう「同一労働同一賃金」と言われ始めている。同一労働という言葉は、工場現場や事務補助業務などでは起こり得ても、それ以外の場所では、適用が困難な場合もある。

 

そこで労働者保護という観点から考えれば、企業がどういった雇用形態や給与体系にするかは、CSRの考え方に則って考えてみるのが良いと思われる。

 

CSRでは、人権・差別・環境・労働など幅広い視点で、企業が果たすべき役割を考えることが求められている。だから、大企業を中心に「CSR報告書」を発行し、自分たちの取り組み方の方針や現状を情報開示している。

 

その中では、当然だが労働の質と量に関する考え方の提示も要求されている。けれども、第三者検証が付いたCSR報告書であっても、労働安全衛生には触れていても、それ以上に踏み込んだ記述は少ない。

 

つまり、インナー・マーケテイング(従業員と企業の関係性のあり方)という視点を持たないまま、雇用形態別の従業員の数だけが記載されていたりする。

 

CSR報告書への記載が、一つのアリバイ作りと捉えることもできるくらいに、本質的なCSRへの対応ではなくなってきているような気がしている。

 

できればCSRなど避けて通りたいのだが、今の時代にそれではライバルである同業他社との競争で負けるようなことにもなりそうだし、まあ、当たり障りがないように環境問題や社会貢献の話で済ませておこう、という気がしないでもない。

 

つまり、本質的なCSRというものは、それが真っ当に機能するより前に、早々と骨抜きにされ、「オワコン(もはや影響力もなく、重要視されなくなったコンテンツ)」状態にされているのではないか。

 

企業の社会的責任を果たすのだと、大上段に振りかぶってはみたものの、さて実際に真剣に取り組む段になると、女性の雇用や昇進はどうするかとか、パートなど非正規雇用は今後どうしてゆくのかとか、現状では解決困難な問題が次々と現れる。

 

こんなに難しいものだったのかと、早晩気づくことになるのだが、いまさら引き返すこともままならない。そうして結局はCSR報告書に一定の記載はするけれど、第三者評価も含めて、労働条件などの内部状況には触れないで、外部に発信しやすいポイントを前面に出すことになってしまう。

 

これではCSRなどというところに踏み込まず、せいぜい法律順守というレベルの「コンプライアンス」に留めておけばよかった、となるのである。だから「コンプライアンス」といっても社会的規範にまでは至らす、倫理的経営というよりも、重大な法律違反をしないというところに矮小化される。

 

残念ながら、守るべき法律として考えられている内容さえも、刑法や環境関係の法律などが主であり、労働基準法などまではなかなか至らない。人材募集でも、差別的な雇用とみなされるような文言を募集要項から外す程度の認識になってしまう。

 

やはり、CSRという考え方・思想は、世間的には「オワコン」扱いとなって行かざるを得ない運命にあるのだろうか。

 

働き方「改革」と言っている間は、“労働基準法を守りましょう”というレベルの話にしかならないような気がする。それは改革ではなく『働き方の正常化』または『労基法の順守』と呼ぶべきものだと思う。