ロボットが 案外上手い 盆踊り   | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

IoT(モノのインターネット化)とかIoE(さらに拡張し、全てがインターネットでつながるイメージ)と言われるようになってからも、かなり時間が経った。今では、IoTってなんですか、と言っていては相手にもされないだろう。

 

もう一方で、ロボティックスと言われる、ロボットの躯体製造から、センサー技術、制御技術、さらには応用技術までを含めた幅広い「ロボット学」という考え方も定着してきている。

 

産業として考えれば、長時間の単純作業を繰り返すような職場では、それを人間が担当することで感じるストレスから解放されるので、むしろロボットに置き換えた方が職場環境や作業効率が改善される可能性が高い。

 

また、AI(人工知能)という言葉も、昨年の流行語大賞にノミネートされたくらいで、もはや誰もが言葉くらいは知っている存在になった。このAIも昨今では、人間を超える日が来るかどうか、といった論議までなされている。

 

こうして並べてみると、実態としてのロボット、その中味としてのセンサー、それを動かすための制御システム、制御を可能にするプログラム、そこで得られたデータを解析し、さらに進化させるためのAI、設備やロボットをつないでいるIoTというものが、一連のものとなってきていることがわかる。

 

さらに、ロボットを使用する側である製造業と、ロボット制御やAIIoTの分野でのソフトウェア産業との連携ということも見えてくる。モノ作りの分野では、こうして進化が続いている。また、人間とのインターフェイス(取り合わせ)も、これからもっとよくなっていくのだろう。

 

ロボットが作業するためには、今のところ多くの場合、人間が命令する(プログラムを作成する)作業が欠かせないけれど、これからはそれもAIによって自律的になって行くだろう。

 

さて、それでは人間は仕事をロボットに奪われていくのか、ということが常に話題になる。

 

この点に関して、あの“お掃除ロボット”の「ルンバ」の生みの親である、リシンク・ロボティクスの創業者ロドニー・ブルックス氏が、ダイヤモンド・オンライン誌のインタビュー記事で、「ロボットは人間の仕事は奪わない」と題して答えておられた。

 

 

 インタビューの中で面白いと感じたのは、ロボットというものの定義というか、考え方への柔軟な発想である。

 

現在、自動車は、自動ブレーキや周囲の状況確認など、センサーとハンドル操作、アクセルとブレーキの制御などが一体化した、自動運転への中間段階まではほぼ進んできている。

 

これ自体がロボット化と考えられるということだ。私たちが考えるロボットは、産業界で活躍する作業ロボットであったり、二足歩行型などの人型ロボットであったりするわけだが、自動化という視点で考えれば、ロボットというものの定義は変化する。

 

 

 冷蔵庫が歩いたり動いたりする必要はないわけだが、中のものを識別する機能は既に存在しているし、それに従って、賞味期限が近いものを教えてくれる機能もある。これはもう、立派なロボットなのだ、ということだ。

 

エアコンだって、人がいなくなったら自動的に作動を絞り込んで省エネに努めたり、人を感知して最適な温度に設定してくれたりするのもロボットなのだ。

 

ブルックス氏の意見では、ロボ十が人から仕事を奪うのではなく、センサーや制御系、運転系などを駆使して、人をサポートするのがロボットなのだから、それによって仕事を奪われると考えるのは、ちょっと筋違いの議論だろう、ということのように感じた。

 

ただし、コンピュータの普及によって、単純な帳簿記載事務のようなものは、人間が行う作業から大幅にコンピュータに置き換わっていった歴史がある。

 

こうした省力化という観点から考えれば、ロボット化が仕事を「奪う」のではなく、人間が行う仕事の内容が変化するということだと考えられる。

 

さらにブルックス氏は、人間でないと行うことができない仕事は多くあり、しかも人手不足なのだから、人間は人間にしかできないことに注力すべきだ、と考えておられるようでもある。

 

そうなると、人は単純な繰り返し作業や、神経が疲れる監視作業などから、判断を求められる業務や、人対人の交渉といった業務に、仕事がシフトしてゆくということになってくる。

 

モノ作りの現場でも、デザインや手触り、使い勝手など、感性に関わる部分はロボットに置き換えてしまうまでには、まだまだ時間がかかるかもしれない。こうしたことも。いずれ数値化が可能になれば、置き換わることも考えられるけれど。

 

といったことから考えると、ロボ十が大幅に活躍する時代は案外と早く到達するのだろう。東京にはすでに、ロボットが接遇する飲食店が人気となり、フロント業務を行うホテルも誕生してきている。

 

けれど、これらはあくまでルーティン・ワークの置き換わりであって、今はまだ、その場での判断を求められないことを前提としている。

 

ロボットというパートナーと“協働する時代”が近いことは理解できた。逆に、人間がいかに変わることができるかが、これからは問題になってくるのかもしれない。

 

過去に面白いと感じたことは、日本の製造業の現場では、導入されたロボットに名前を付けたり、担当者が“可愛がったり”したことだった。案外と、こうしたことが協働してゆく上での鍵になるのかもしれない。

 

それにしても、時代は早く動いてゆく。ぼやぼやしていると、人型ロボットが上司になっている時代が来るかもしれない、という妄想に囚われそうになる。

 

今日は、雨上がりの暗い空の下で、少しだけ近未来を妄想しつつ考えてみた。