岐阜県南西部、天下分け目の関ヶ原ウォーランドの武将像たちを昨日に引き続き、載せていきます。
昨日は、関ヶ原主戦場でも、若干、南側の中山道よりの武将たちをアップしましたが、今回は、北より=北国街道よりのを載せていきます。
本多忠勝(関ヶ原ウォーランド)
ウォーランドの展示では、一番お祭り風というか、五月人形風というか、歌舞伎風の忠勝さん。
有名な鹿角の兜ではない模様。ちょっと残念です。
細川忠興(関ヶ原ウォーランド)
合戦前にはガラシャこと玉子さん逝くの知らせを聞いた忠興さん。
天性のキレっぷりを発揮したのでしょうか。
黒田長政(関ヶ原ウォーランド)
福島正則さんと交換した一ノ谷兜を着用。
この像では、ちょっとアピール不足かもです。
竹中重門(関ヶ原ウォーランド)
秀吉公の軍師・二兵衛のジュニアが続きます。
黒田さん、竹中さん、そして細川さんの像は、ウォーランド上の配置では北国街道の北になっています。
蜂須賀至鎮(関ヶ原ウォーランド)
太閤さんの天下取りに尽力した大名たちのジュニアやそのジュニアたちが続きます。しかも東軍で、、、
加藤嘉明(関ヶ原ウォーランド)
こちらは賤ヶ岳七本槍の現役組。
松山城の銅像と比べると貫禄が、、、
古田重然(関ヶ原ウォーランド)
立て看板には「古田重勝」とありましたが、おそらく重然=織部さんのことじゃないかと。この像は、へうげているっちゃあ、へうげているし、へうげてないっちゃあ、へうげてないです。
宮本武蔵&本位田又八(関ヶ原ウォーランド)
宮本武蔵(関ヶ原ウォーランド)
「へうげもの」に続いて、「バガボンド」登場。
やっぱり、違和感のある武蔵&又八っつぁん。
一応、西軍(雑兵)として参戦したらしいですが、、、
しかし、このウォーランドのコンクリート兵すべて、みんなカラフルな原色仕立てです。
もう少し頑張れば、東南アジアのエゲツないお寺さんのようでもあります。
今日までは、東軍中心のアップでした。
明日以降は、西軍中心にあげていきます。
こちらもよろしくです。