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ひどすぎます。チェルノブイリやスリーマイル島とどこが違い、どこが同じなのか。そしてなぜ、ここに来て次々と表に情報が出てくるのか、はっきりさせましょう。

これも「電力会社のDNA」なんて言わせておくわけにはいきません。日本の自立のために電力の自給は本当に大切なんですから。電力会社の皆さん、もっと自負を持って、信頼できる組織になってください。


東電福島第一原発、検査中に7時間半臨界か 制御棒脱落

2007年3月23日(金)00:49

 東京電力の福島第一原発3号機(福島県、沸騰水型、78.4万キロワット)で78年、定期検査中に制御棒5本が脱落し、核分裂反応が連鎖的に続く臨界事故が起きていた可能性の高いことが分かった。22日、東電が発表した。約7時間半も制御不能の臨界が続く深刻な事態だったとみられる。東電は「当時は報告を義務づける法令がなく、国や県に報告していなかった」としているが、当時の総理府令違反との見方もある。運転日誌などに一切記されておらず、東電は隠蔽(いんぺい)の有無も調査中としている。

 定検中の制御棒脱落は全国の沸騰水型炉で相次いで発覚しており、常態化していた疑いがある。

 東電によると、78年11月2日午前3時ごろ、原子炉圧力容器の点検準備中に、137本ある制御棒(可動範囲3.6メートル)のうち5本が30~90センチ抜けた。4本が隣接していたため、局所的に核分裂が起きて臨界状態になったとみられる。制御棒を操作する水圧式の駆動装置で、弁の操作を誤ったことが原因とみている。

 原子炉メーカーの東芝の社員が残したメモには、核分裂で生じる中性子の計測器の針が7時間半にわたって振り切れたとの記載があった。夜が明けた午前10時ごろから制御棒を挿入して、事態を収めたともあった。

 短時間に大量の放射線や熱の出る臨界が制御不能状態で続くのは、原発で最も警戒されることだ。作業員の被曝(ひばく)や放射能漏れは「調査中」としている。

 記者会見した東電の小森明生・原子力運営管理部長は「局所的な臨界で核分裂は安定していたと思われる。法令違反にも当たらないと考えるが、たいへん重く受け止めている」と謝罪した。ただ、78年当時も重大な問題が生じた場合は、旧科学技術庁長官への報告が義務づけられていた。

 福島第一原発では5号機で79年に、2号機で80年に、いずれも定検中にそれぞれ制御棒1本の脱落があったことも判明した。3号機と同じく配管弁の操作ミスが原因とみられる。臨界状態には至らなかった。東芝から指摘を受けた東電が、社内調査で確認した。

 北陸電力志賀原発1号機(石川県志賀町)の臨界事故は99年で、福島第一原発3号機の事故はその21年も前に起きていたことになる。



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信越化学事故は粉じん爆発か(新潟日報) - goo ニュース

「粉じん爆発事例紹介」

というサイトがあります。実は大変危険なものなんです。小麦粉から爆弾ができたりします。職場が爆弾製造工場だったら危なっかしくてやってられないですよね。安全衛生管理の大切さが良くわかる事故です。信越化学の責任は重いと思います。原子力プラントの周辺住民にようやく事故が起きた際の対応ということでヨウ素が配られるようになりましたが危険なのは原子力プラントだけではありません。そこで働く人たちの安全はもちろん、周辺住民の安全にも最大限の配慮がなければなりません。そしてそこで扱っているものが何なのか、万が一事故が起こった場合の対応はどのようにすべきなのか。風向きを理解しているだけで避けることができる被害もあるのです。インド、ボパールで起きた事故。ユニオンカーバイドの間違いを繰り返さないように。


ボパール化学工場事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ボーパール化学工場事故(?かがくこうじょうじこ)は1984年に発生した世界最悪の化学工場事故である。インドのマッディヤ・プラデーシュ州の州都ボーパール (?????) で操業していたユニオンカーバイド社の子会社の化学工場から約4トンのイソシアン酸メチル (MIC) が流出し有毒ガスが工場周辺の町に流れ出した。


事故は12月3日の深夜に発生した。有毒ガスにより、その夜のうちに3000人以上が死亡し、15?60万人が被害を受けた。最終的に、1万5000人~2万5000人が死亡した。


現在もなお工場から漏れ出した化学物質による周辺住民への健康被害が続いている。また、工場を管理していたユニオンカーバイド社への訴訟や責任問題が未解決である。


目次 [非表示]

1 事故の要因

2 ユニオンカーバイドに対する調査と訴訟

3 汚染の現状

4 外部リンク

5 参考資料



[編集] 事故の要因

ユニオンカーバイドのボーパール工場は1969年に創業を開始し、1979年に殺虫剤カルバリルの生産を拡大した。MIC はカルバリル製造の反応中間体であり、ホスゲンから製造される。工場には、同じくMICを扱うアメリカ合衆国ウェストバージニア州インスチチュートの工場と同じ安全基準が適用されていると発表され、事故後もそう主張された。


事故は MIC 貯蔵タンクへの水の混入が原因である。その結果、タンク内部で化学反応がおこり大量の有毒ガスが発生した。タンク内の圧力を緊急排出したが、ガス洗浄装置が修理のために停止していたことで有毒ガスが漏れ続けた。調査によりいくつかの安全手順が回避されていたことが判明している(タンクに漏れている水を防ぐバッフルプレートの設置は省略されていた。また、タンクの冷却および流出したガスを焼却できたフレアタワーが停止していた)。そして、設備を他の工場と統一しなかったインド従業員の活動規範。こうした安全基準はユニオンカーバイドが当時関連していたインドの工場で「コスト削減計画」の妨げになるとして、1984年に意図的に省略されていたとされている。最近浮上した文書は、ユニオンカーバイドがインドの工場へ「無認可のテクノロジー」をしばしば輸出していたことを明らかにしている。工場が操業した時、地元の医師はガスの性質を知らされていなかった。また、災害時の基本的な対処法(湿った布で口を覆うような)は考えられていなかった。


ユニオンカーバイドはこれらの証言や主張を一切認めていない。そして、事故はひとりの従業員が検査用の通気孔を通して故意に水をホースで流し込んだものと結論した調査報告をした。ただし、この調査に専門家のチェックはされていない。ユニオンカーバイドは事故によりこうした方法で水が混入することを見つけることができなかったと主張している。そして、安全システムはこのような破壊活動に対処できるようにはなっていなかった。ユニオンカーバイドはボーパール工場のスタッフは事件の責任を逃れるために多数の記録を偽造した。そして、おそらくそれらはユニオンカーバイドに対する怠慢を申し立てを弱めるもので、インド政府は調査を妨害し、責任のある従業員の起訴を取りやめたと言っている。ユニオンカーバイドは公的に破壊工作をした従業員の指名はしていない。



[編集] ユニオンカーバイドに対する調査と訴訟

1989年に示談による和解が得られ、ユニオンカーバイドはボーパールの事故によって生じた被害に対し4億7000万米ドルを支払うことに同意した(当初の訴訟では30億ドルが請求されていた)。この和解が報じられると、ユニオンカーバイド社の株価は1株あたり2ドル(株価の 7%)下がった。ボパール事故で支払われた賠償金は、石綿症の被害者(ユニオンカーバイド社は1963年から1985年にかけて石綿の採掘を行っていた)に対してアメリカ合衆国の法廷が同社を含む被告に支払いを命じた額と同率であり、1984年に出した死傷者に対する同社の債務額は100億ドルを超えた。2003年10月の終わりに、ボーパールガス事故被災者救援復興局 (Bhopal Gas Tragedy Relief and Rehabilitation Department) によって 55万4895 人の被害者と 1万5310 人の遺族に対して賠償金が支払われた。遺族一家についての平均額は2200ドルであった。


当時のユニオンカーバイド社の最高経営責任者であったウォーレン・アンダーソン(1986年に辞任)はこの大規模な殺人事件の主犯とされていたが、法廷での審理に出席しなかったため、ボパール最高裁判長によって1992年2月1日に逃亡犯として宣告された。犯罪人引渡し条約を締結しているアメリカに対し、インド政府は引き渡しを求める通知を送ったが、この要求が受理されることはなかった。多くの活動家が、インド政府は自由化のあとにインド経済で重要な役割を担っている外国人投資者からの報復を恐れ、アメリカに対して激しい要求を行うことをためらっている、と非難した。事件解決の失敗について無関心を装うアメリカ政府の態度は、過去においても特にグリーンピースから強い非難を浴びている。犯人が逃亡したため、インド中央投資局による本事件における過失を理由とする請求額引き下げの嘆願はインド法廷によって却下された。アンダーソンは現在でも逃亡者としてインド法廷に手配されており、仮に判決が10年以下の禁固であったとしても賠償金を支払う義務を負っている。


一方、ユニオンカーバイド社との和解によって政府が受け取った賠償金のうちの一部しか遺族には渡らなかったため、地元の人々は同社と責任者のアンダーソンのみならず、インド政府からも裏切られたと感じている。本事件の記念日にはアンダーソンと政治家たちの肖像が焼かれる。2004年4月、インド最高裁判所は政府に対し、賠償金として受け取った残り3億3000万ドルを被害者と遺族に支払うよう命じた。


ユニオンカーバイドはボーパール工場を運営していたインド支社を、1994年にインドのバッテリー工場に売却した。2001年にはダウ・ケミカル社が103億ドルの負債を抱えたユニオンカーバイド社を買収した。ダウ・ケミカル社は、ユニオンカーバイド社の和解による支払いは既に履行されており自社に責任はない、と何度か公式に発表した。しかしながら、遺族によって、ダウ・ケミカル社に対し重度に汚染された土地を清浄化させるための訴訟がアメリカの地方裁判所で行われている。


ダウ・ケミカル社とその子会社となったユニオンカーバイド・アメリカ社がインド法廷の判決に従うことを拒否したため、賠償金の支払い要求先は、現在はユニオンカーバイド・インド社のもと従業員、すなわち元社長・現マヒンドラ ケーシャブ・マヘーンドラ、現社長付き経営取締役 ヴィジャイ・ゴーカレー、元社長兼職務主幹 キショール・カームダール、元工場長 J・ムクンド、元AP部門製造部長 S・P・チョウドリーに移っている。


 

[編集] 汚染の現状

政府が主導する意思を持たなかったため、何トンもの毒性廃棄物が手付かずのまま放置されている工場の清浄化は行きづまった。環境問題研究家たちは、この廃棄物は市の中心部の汚染源となる可能性があり、生じる汚染は何十年にも渡ってゆっくりと広がり、神経系、肝臓、腎臓に障害を与えるおそれがある、と警告している。調査により、事故以来がんなどへの罹患率が高まっていることが示されている。活動家たちはダウ社に汚染物質の除去を求め、インド政府に対し同社からより多くの資金を供与させる命令を出すように要求している。


BBCは2004年11月14日の放送で、事故現場はいまだ数千トンの有毒物質 ? 容器が開けっ放しのまま放置され、あるいは地面に流れ出したヘキサクロロベンゼンや水銀などで汚染されているという調査結果を報じた。いくつかの区域は汚染があまりにも激しく、10分以上留まると意識を失うおそれがあった。降雨によってそれらの流出が起こり、付近一帯の井戸を汚染した。BBCに代わりイギリスから派遣された水質分析者によるボーリング試験によって、汚染濃度はインドの基準値の最大500倍であることが明らかにされた。付近の居住者と、同程度の経済状態の他の地域とを比較する統計調査が行われ、工場近辺では様々な疾患の度合いが高いことを明らかにする結果が報じられた。