日本は秋丸機関の抗戦力調査に基づいた多角的な視点から戦争戦略を立案しました。

 

そして、戦争戦略は最終的に昭和16年11月15日の大本営政府連絡会議で正式決定します。

 

以下がその戦争戦略の原本です。

 

昭和16年11月15日大本営政府連絡会議で決まった戦争戦略

 

 

しかし、この戦争戦略は壊されてしまいます。

 

大きく分けると以下の3つの作戦によって段階的に打ち壊されていきます。

 

1.真珠湾攻撃(1941年12月8日)

 

2.ミッドウェー海戦(1942年6月5日)

 

3.ガダルカナル島の戦い(1942年8月7日~)

 

これらは、海軍上層部の主導のもと実行されていきました。

 

日本の戦争戦略は「時間」「距離」を重要視して作られたと、以前ブログで申し上げました。

 

下記、ブログ記事参照

経済抗戦力は生産力だけでは決まらない~連合国の重大な弱点を指摘した秋丸機関①~ | 時間が無い人でもサクッとわかる現代社会の仕組み (ameblo.jp)

 

経済抗戦力は生産力だけでは決まらない~連合国の重大な弱点を指摘した秋丸機関②~ | 時間が無い人でもサクッとわかる現代社会の仕組み (ameblo.jp)

 

 

しかし、この重要な「時間」「距離」の概念を日本軍自ら打ち砕くような戦争戦略を実行していくのです。

 

もちろん、これらの作戦は開戦当初の戦争戦略には入っていません。

 

 

まず「真珠湾攻撃」によって「時間」という概念が打ち壊されます。

日本海軍の真珠湾攻撃によってアメリカ国民が立ち上がり、アメリカは即時総力戦体制を作る事に成功しました。

 

アメリカが総力戦体制を整えるのに最低1年はかかると見られていた「時間」が、1年を切るまでに短縮されてしまったのです。

 

 

そして、「ミッドウェー海戦」「ガダルカナル島の戦い」によって「距離」の概念が打ち壊されました。

 

ミッドウェーの場所を世界地図で確認するとよく分かると思います。

 

ミッドウェーはハワイの少し西側に位置していて、ほとんど、日本とアメリカの中間にあります。

 

太平洋の孤島ともいえるこの島は日本からも遠く、日本がアメリカと戦う場所としては余りに不都合といえます。

 

しかも近くにハワイのアメリカ軍基地があるので、どっちかというとアメリカ軍にとって有利な場所と言えます。

 

完全に地の利を無視した場所での戦いによって日本海軍は大敗北します。

 

しかし、この戦いは当初の戦力は日本の方が圧倒的に勝っていました。

 

日本は、空母8隻、戦艦11隻、重巡洋艦17隻を保有していました。

 

対するアメリカは、空母3隻、戦艦0隻、重巡洋艦7隻を保有していました。

 

戦力比は明らかに日本が有利です。

 

しかし、日本海軍はアメリカ海軍の待ち伏せ戦術によって、空母4隻と艦載機約290機を失いました。

 

この敗北によって日本海軍の戦力は大幅に減退しましたが、まだ余力は残ってました。

むしろこの戦いで日米の戦力差は、ほぼ互角になったと言われています。

 

 

しかし、その後の「ガダルカナル島の戦い」によって、日本軍は壊滅的な損害を受けてしまいます。

 

こちらもガダルカナル島の場所を世界地図で確認するとよく分かります。

 

ガダルカナル島はインドネシアの南東のパプアニューギニアの先にあるソロモン諸島の島の1つです。

 

日本からは遙か遠い場所に位置し、むしろアメリカの同盟国のオーストラリアの目と鼻の先にあるので、戦う場所としてはアメリカ軍の方が圧倒的に有利です。

 

日本軍は補給路が延びきってしまい物資の支援もままなりませんでした。

結果として、戦死者の数よりも、飢えや病気での死者の方が上回るほどの悲惨な結果となってしまったのです。

 

軍艦、航空機、燃料、武器等も多く失ってしまいました。

 

日本の国力から考えると、この敗北によって、戦力で連合国と戦って行く事はほぼ不可能になりました。

 

この後、アメリカは時間の経過とともに生産力をさらに高めていきます。

そして、日本が占領した太平洋の島々を取り返していきます。

 

戦線が延びきった日本軍は、生産力を高めたアメリカ軍に対抗する事は難しくなり、最終的に絶対国防圏を破られ、マリアナ諸島のサイパン島を落とされてしまいます。

 

1944年7月、アメリカ軍がサイパン島を掌握して爆撃機による日本本土への空襲が可能となりました。

 

 

このように当初立てた合理的な戦争戦略は、3つの作戦によってほぼ無力化されてしまったのです。

 

日本陸軍は合理的な戦争戦略を立てて開戦を決意したにもかかわらず、日本海軍がハワイやミッドウェー、ガダルカナル島などに固執して戦線を太平洋方面へと拡大させていきました。

 

もし、日本海軍がハワイやミッドウェー、ガダルカナル島などを攻めずに、インド洋で連合国の輸送船の撃沈に専念していれば、結果は違ったかもしれません。

 

日本は当初、連合国との戦力差を「時間」「距離」を利用して敵の補給路を遮断する作戦で対抗出来ると考えました。

 

しかし、「戦力は距離の2乗に反比例する」、という重要な戦略を反対にアメリカ側に利用されて敗北してしまったかのようです。

 

地の利を無視して、むしろアメリカ側に有利になるような場所で戦っているからです。

 

このような合理性を欠く海軍の戦争戦略に巻き込まれた事で現場の兵士達は大変なおもいをする事になってしまったのです。

 

 

※参考文献