連合国の海上輸送能力とは、具体的には輸送用の船舶をどれだけたくさん作れるかです。

 

つまり物を運ぶ船が重要なのです。

 

「秋丸機関」は、この造船能力についても米英ともに詳細に分析していました。

 

前回のブログで書いた通り、米国の生産力は他の国を圧倒していました。

米国は主に英国をはじめ連合国への軍需品供給地としての役割がありました。

 

下記、ブログ記事参照

経済抗戦力は生産力だけでは決まらない~連合国の重大な弱点を指摘した秋丸機関①~ | 時間が無い人でもサクッとわかる現代社会の仕組み (ameblo.jp)

 

 

しかし、完成軍需品を実際の戦場に輸送するには輸送船が必要です。

 

輸送船を使って、アメリカはイギリスに大西洋を経由して軍事支援します。

そして、アジア地域へはインド洋からインド・ビルマ、ルートを使って中国・ソビエトに支援します。

 

 

ここで、英米各国の造船能力をみてみます。

 

英国はもともと海洋国家でしたので、1939年9月に第二次世界大戦が始まる時点で、保有する輸送船舶数は十分ありました。

 

大戦前の時点で6337万トンの物資を輸送出来る船舶を持っていました。

アメリカから11億5千万ポンド(57億5千万ドル)の物資を輸送する総重量は3809万トンです。

 

つまり、イギリスは自国の船でアメリカから不足する物資を補給する事が出来るのです。

 

そして、さらに「6337万トン-3809万トン=2528万トン」で2528万トンの輸送能力に余裕がありました。

 

これを貨物船の船腹に換算すると、240万総トンになります。

総トンとは、船舶の大きさを表すための指標として用いられます。

 

つまり、米国で生産された軍需物資を英国の船を使って輸送する事で、インド洋経由で中国・ソビエトにも軍事支援が出来るのです。

 

 

では、米国の造船能力をみてみます。

 

アメリカは大戦前の段階で輸送船を保有していましたが、老齢船が多く、船員確保も十分に行われていませんでした。

 

世論の大多数が反戦の状況で大がかりな建造計画をする事は難しかったと考えられます。

 

なので実際にはアメリカにはほとんど輸送余力がありませんでした。

 

そこでアメリカは第二次世界大戦が始まってから、大がかりな造船計画を立てました。

年間で以下の造船計画を立てました。

 

1941年 125万総トン

1942年 350万総トン

1943年 500万総トン

 

というふうに、

 

そしてイギリスの造船能力は1940年の実績で50万総トンです。

これが、1943年には100万総トンまで増やせると考えられました。

 

つまり、英米合わせて最大で年間600万総トンの造船能力があることになります。

ひと月になおすと50万総トン造船する計画です。

 

 

実際には、第二次世界大戦が始まってからはドイツのUボートが大西洋でイギリスの輸送船を攻撃し、1939年9月~1941年5月の時点で船腹の187万総トンが撃沈されていました。

 

もともとイギリスが持っていた240万総トンから187万総トンを差し引いて、1941年7月時点で、他国を支援する船腹の余力は約50万総トンまで減っていたのです。

 

これをみると分かるとおり、連合国側には輸送船にほとんど余力がありません。

 

イギリスは自国の軍事物資は補給出来ても、中国やソビエトの軍事支援までする輸送船の余裕は余り無いのです。

 

仮に開戦後アメリカで生産力を高めたとしても、軍需物資を遠いアジアの戦場まで供給するのは至難の業であると言えます。

 

さらに日本海軍がインド洋を主戦場にして、連合国の輸送船を撃沈すれば、補給ルートを断つことが出来ます。

 

ドイツ、日本合わせてひと月で50万総トンの船を撃沈する事は決して不可能な数字ではありませんでした。

 

実際に1939年9月から1941年5月までドイツのUボートは、ひと月で約10万総トンの船を撃沈していました。

 

その後、

 

1941年で、ひと月平均36万総トン

1942年で、ひと月平均65万総トン

 

と撃沈して威力を発揮していきました。

 

 

つまり米英の致命的な弱点はここにあったのです。

 

日本がインド洋を主戦場にして輸送船を撃沈して、ドイツと合わせてひと月で50万総トンの船を喪失させれば、連合国側は補給が途絶え戦争遂行に重大な支障をきたすのです。

 

勝敗を決する決め手は、英米の造船能力とドイツ・日本による撃沈能力の競争なのです。

 

日本は開戦後、太平洋方面へ出て行かず、1年間はインド洋で輸送船の撃沈を目標とすればよいのです。

 

そうすれば、連合国側は中国・ソビエトへの補給ルートを断たれアジア地域での戦争遂行が難しくなります。

 

さらに日本はインドやインド洋地域で英国の植民地に戦線を拡大して、連合国側の物資の消耗に努めます。

 

すると、ますます、これらの地域への物資輸送の需要が増え、輸送船が必要になります。

 

 これをみるとインド洋やその周辺地域での日本軍の役割が極めて重要であったかがわかると思います。

 

また、連合国側の海上輸送力の脆弱さがわかると思います。

 

まさに戦力は距離の二乗に反比例するのです。

いかに生産力があっても、本国から遠い所での戦争は圧倒的に不利になります。

 

これによってイギリスの国力を衰退させ、イギリス本国も包囲屈服させられると考えました。

 

そして、その状況になれば、アメリカも積極的に戦争に介入する事は難しくなり、どこかの時点で連合国側と講和に持って行くことが出来ると「秋丸機関」は考えました。

 

これらの抗戦力調査を基にして出来た戦争戦略を、1941年、当時の杉山陸軍参謀総長に報告して日本は開戦の決断をするのです。

 

 

※参考文献