スタツア3日目にして、
ようやく日本との寒暖差にも慣れてきたかなあというところですが、やはり暑いと余計に体力を奪われますね~...
そんな中、今日はキリングフィールドとツールスレン博物館を訪れました!
この二つの施設に深く関わっている
カンボジアの歴史的な惨劇を
みなさんは知っていますか?
それは、カンボジア共産主義勢力 クメール・ルージュ。 ポル・ポトによる大量虐殺です。
1975年 ロン・ノル政権が敗れポル・ポト政権が樹立。カンボジアはこのポルポト率いるクメール・ルージュに支配されました。
ポル・ポトは共産主義の中でも特に過激な原始共産主義という思想を持っていました。原始共産主義とは階級や格差のない社会を理想とし、まるで原始時代のような自給自足の社会を目指す思想です。
そのため、知識は格差を生むと考え、
教師や医師、外国語ができた人
柔らかな手の人、メガネかけた人、僧侶、
クメール・ルージュに意義を唱えた人、本を読んでいる人など、、、なんの罪もない知識人が虐殺されました。
虐殺された人は
このポルポト政権が始まってから、ベトナム軍とカンボジア救国統一戦線に解放されるまでのたった4年間で、なんと総人口の約3分の1とされる
200万から300万人近くにものぼるといいます。
その際、政治犯収容所として使われたのがツールスレン。処刑場となったのがキリングフィールドです。
まずはツールスレン

当時学校だったところを、尋問・拷問する場として使用し、2年9ヶ月の間に14000~20000人の人々が収容されたとされています。
鉄のベッドや拷問道具、拷問の様子が描かれた絵、生々しい当時の人々の写真、殺されたおびただしい数の人の写真が展示されていました。

そして、キリングフィールド

ツールスレンから、キリングフィールドに運ばれ
そこで1日300人、総勢2万人以上の人が虐殺されました。
キリングフィールドはカンボジア全土で300箇所以上あり、私たちが訪れたチュンエクのキリングフィールドはその一つです。

ここでは9000体の遺骨が発掘されました。
でもまだところどころ骨や衣服が地中に埋まっているのが見えます。
銃弾は高いため、処刑は拳銃では行われませんでした。
安く済ませるために、
砂糖ヤシの木の根元で人間の喉をかき切ったり
身近なナタ、ハンマー、オノ等で殴って殺していたそう。
また、防臭を紛らわすために、殺虫剤であるDDTを人々の食べ物に入れて中毒をおこさせ、息絶える前に穴にけ落として殺したりも、、、、。
慰霊塔には亡くなられた方の人骨が保管されています。


ポル・ポト政権の教育の否定により
カンボジアは多くの知識人を失いました。
この大規模な教育システムの破壊がカンボジアの医療の足かせになっています。
なぜGRAPHISはカンボジアに医療支援を行っているのか。
初めて実際にカンボジアを訪れたメンバーは、
カンボジアの現状と問題を
歴史から考え直すことが出来たと思います。
また、
日本結核予防会職員の小林さんにJATA(公益財団法人結核予防会)がカンボジアに行っている技術支援についてのお話をお伺いしました!
結核は世界的に流行しており、約6割がアジア地域で発生しているそうです。
カンボジアは結核有病率がアジアでもっとも高い国であり、
未だ多くの結核患者が診断されずに生活していると考えられています。
そのためJATAは結核患者の早期発見を目指して、結核の診断体制を強化するための技術支援プロジェクトを行ったそうです。
小林さんはボランティアをするうえで、
持続可能な支援をすることが重要であると考えており、
そのためこのプロジェクトの終了後3年分のプロジェクト備品を用意したそうです。
支援を切り上げても、持続可能な支援にすることや、
スタッフ育成の習得度習熟度の測定方法など、GRAPHISにとって勉強になるお話を聞くことができました。

今日は真面目な話が多かったので
最後にちょっと面白い話を✨✨✨
プノンペン市内のスーパーで風船が売ってたので、、、
メンバーでその場でゲーム!!!
負けた代表が購入しました♡

ちなみに風船は2ドルを値切って1ドルでした